Mくんの私に書かせなさい(古道)1/2
古道(こどう)とは読んで字のごとく、「古い道」のことです。
単に大昔から存在する道が古道とされるわけではなく、
「大昔は主要な道路であったものの、今はほとんど使われていない道」
これを古道と言います。
古道を見つけるのは簡単そうですが、実はかなり難しいものです。
例えばの話ですが、文献などで「京阪道は京都と大阪をつなぐ道だ」と書かれていたとしても、現代の日本に京都と大阪を結ぶ道はたくさんあります。
仮に地図が残されていたとしても、正確な測量技術がない時代に作られた地図ですから、これもまた、当てになりません。
「昔からある道路なら今では幹線道になってしまっているのではないか」
とお考えの方も多いと思います。
確かにそれはその通りなのですが、実際には道というものの価値は、
「どことつながっているか」であって、道そのものに価値はありません。
例えば今から170年ほど前、日米和親条約によって函館と下田が開港されてから数十年の間、この2つの町は貿易によって大きく栄えました。しかし、今ではそのころの繁栄は街並みなどからうかがい知れるほどでしかありません。
他にもこうした例はたくさんあります。
150年ほど前、人口日本一は石川県と新潟県が争っていました。
大陸向けの貿易で人が集まっていたからですが、今の日本からは想像もできません。
利用価値のある都市は時代の移り変わりと共に移動していきます。
このため、道路の価値も時代とともに変動してしまいます。
昔は主要な道路だからと言って、今の日本でも主要な道路であるわけではないのです。だからこそ、古道は見つけにくいのです。
「道の価値」と同様に、その機能も時代によって変化します。
今の時代の道路の機能は人の移動と物流ですが、この2つの目的のために道路が必要とされるようになったのは、人類の歴史の中で考えれば最近です。
そもそも人類の歴史の大部分は狩猟採集生活で、このころは大半が定住していないわけですから、道がつなぐべき場所そのものがありません。
定住するようになっても、道というものはせいぜい、家から川の水汲みのしやすいところまでのごく短い距離の「踏み分け道」程度のものです。
わざわざ作った「道」と呼べるものではなかったわけです。
道を作るということは、重機の無かった時代、大変な労力でした。
村と村を繋ぐ最短コースを歩いて探し出し、そのコース上の原野に転がる岩を取り除き、木を切り倒し、切り株を引っこ抜き、草を抜き、場合によっては平らに整地してやる必要があります。
また、陥没したり風で倒木が道をふさいだりしていないか、定期的にメンテナンスする必要もあります。
このため、道を作ることができるようになるのは、国家と呼ぶことのできる規模の集団が存在する社会ができるまで待たねばなりません。
そんな大事業ができる国家は、そもそもなぜ、道が必要だったか。
多くの場合は「情報を伝達する」ためです。
国家の中央が策定した法律や命令を迅速に遠いところまで伝えることができるからこそ、国家は遠くの人を従えることができます。
人を従えるための圧倒的な軍勢も当然必要ではあります。
しかし現代人も、何かを買ったときに消費税を払うのは、「払わねば罰せられる」からではなく、「払うことがルールだから」
もしくは「払うように言われているから」という考えの方が意識としては上位に来るのではないでしょうか。
遠くまで情報を伝達させることは国家の肝の部分で、
だからこそ「メッセンジャーを通す」ということが古代の道の役割でした。
ちなみに大半の場合、物流は船がその機能を担っていました。
もちろん例外もありますが、重くて大きいものを陸上輸送するのは道がしっかりと舗装されてからです。
さほど大きくなくて重たいもの(塩や米など)は牛の背中に載せて運びました。牛なら狭くて曲がりくねった道も進むことができるので。
そんな古道ですが、そうした経緯もあって今の日本で見つけるのはなかなか難しいですが、スマホで見つけられる場合があります。
これは埼玉県狭山市と所沢市の境界線です。
Wikipediaで調べたら出てきた事例なので使ってみました。
地図の北側(上)が狭山市、南側(下)が所沢市ですが、「フラワーヒル」という交差点の北側が不自然に狭山市側に張り出しています。
気になった方はご自分で見つけてズームしてみてほしいのですが、この出っ張りはちょうど道路と道路の東側の部分になっています。
このような形になったのは昔、この道路を境に東側と西側で別々に管轄したことの名残だといわれています。
特に行政上の境界線は一度設定されると、場合によっては1,000年以上も見直されないこともあるそうで、古い道になればなるほど、このような形で今でも地図上に残っているケースがあるそうです。
ちなみに画像のこの道は「東山道武蔵路(とうざんどうむさしみち)」という道で、7世紀ころに作られた道だそうです。
いまから1,000年以上も前の道が今ではこのようになっているというのは、ロマンを感じさせるお話です。
さて序文が長くなってしまいましたが、ここまで書いてから古道について不思議な話を体験を思い出したので、そのお話をご紹介いたします。
ホラーが苦手な方はここでさようならです。
私にはヘラルドという大学時代の友人がいました。
彼は日本人のお父さんとメキシコ人の母を持つ日本国籍の男性で、とある過去を持つため、同級生でしたが、私よりも幾分か年上でした。
日本語と英語とスペイン語とポルトガル語がペラペラで、見た目は堀が深い顔に少し縮れた黒髪、がっしりした体格で、よくお巡りさんに職務質問されていました。
「ドゥ ユゥ ハブ えーと、身分証?」
「いや、日本人です」みたいな感じです。
一見するとターバンを巻いていないイスラム戦士の風貌だった彼は、そうした扱いを受けることに慣れていました。
ヘラルドと私は日本の大学に通っていましたが、当時ヘラルドの両親は、ヘラルドのお父さんの仕事の都合でブラジルに住んでいました。
ヘラルドのお父さんは世界的に知名度のある日本の大手企業の重役をしている方で、ヘラルドもブラジルに帰ればお坊ちゃまなのかもしれませんが、少なくとも私から見れば松屋が好きなただのイスラム戦士でした。
これはヘラルドと私が経験した不思議なお話です。
ヘラルドのアパートに初めて遊びに行ったのは大学2年生のころでした。
ヘラルドのお父さんが日本の本社へ出張で帰国した際に、ヘラルドがブラジルで乗っていた自転車を一緒に持ってきてくれたが、組み立てが上手くいかないとのことでした。
私は自転車に詳しい訳ではありませんでしたが、わりと手先が器用な方なので、その日はバイトがなく暇だったこともあって手伝いを申し出たのです。
ヘラルドの部屋に向かう道中、飛行機で自転車を運ぶってどういうことなのか聞いてみましたが、ファーストクラスだと自転車くらいの手荷物は問題なく通るとのあっさりした回答で、今でいうところの「上級国民」を感じました。
ヘラルドのアパートは大学から自転車で10分くらいのところにあり、太い道路から一本裏手に入った、道幅5mくらいの市道沿いでした。
彼のアパートの周囲を思い出そうとすると、決まって薄暗い霧が見えます。山の方でも、近くに湖があるような場所ではありませんでしたので、霧がかかるようなことはなかったと思うのですが。
ヘラルドのアパートが面した道を挟んだ向こう側は奥行き15mくらいの雑木林のようになっていて、雑木林の更に向こうには民家が並んでいます。
外の階段でヘラルドの部屋がある2階に登ると、ちょうど階段の真ん中くらいまで来たところで、とてもひんやりとした空気に触れました。
その時は「風が吹いたのだろう」くらいにしか思わなかったので特に口にしませんでしたが、後から聞くとこの時、ヘラルドも同じように感じていたそうです。
ヘラルドの部屋は、よくある大学生の一人暮らしといった感じで、7畳くらいの1kにロフトが付いていました。きれいに片付いているわけではありませんが、汚部屋というべきほどのものでもありません。
自転車は部屋の中に入れてあり、新聞紙を敷いたりすることなく、床にそのまま置いてありました。この辺りの感覚は日本人とは違うのかな、と率直に思ったので彼に伝えると、
「最初は下で組み立ててたけど警察に職質されたから」とのことでした。
イスラム戦士がチャリパクしようとしているように見えてしまったのかもしれませんね。
結局自転車は私もうまく組み立てられませんでしたが、そのままヘラルドの家で遊ぶことにしました。
ヘラルドの家はお金持ちでしたので、当時はまだ珍しかった立派なゲーミングPCがあり、ヘラルドに教わりながらいろんなゲームをしました。
気付けば夜の10時をまわったところで、大分お腹が空いてきたので歩いてヘラルドの家の近くにあるチェーンの牛丼屋さんに行きました。
お店までの途中には幅20mくらいの川が通っていて、その川にかかる橋を通りました。橋には片側1車線の道路が走っていて、両側に歩道部分があります。
ヘラルドと他愛のない会話をしながら、ちょうど橋を渡り終わろうとするところで、ほっそりとした女性とすれ違いました。ちょうど私と同じくらいの年齢に見えましたが、長い前髪のせいで顔はよく見えませんでした。
違和感を感じたのは、まだ寒さの残る4月上旬の夜、白いノンスリーブのワンピースを着ていたことでした。
率直に「寒そうだな」くらいにしか思いませんでしたが、通り過ぎた後でヘラルドが「今の女の人変じゃない?」と小声で私に話しかけてきます。
私が「うん、季節間違えてるよね」と答えるとヘラルドは「それもそうだけど、手ぶらだったんだよなぁ」と返しました。
確かに手ぶらではありましたが、ヘラルドの声を聞きながら私はもう一つ、別のことに気が付きました。
すぐそこの街路の下、周囲よりも明るく照らされた路面に、水で濡れたような、真っ黒の人の足型が付いていました。
もともと私はご飯が終わったら帰ろうと思っていたのですが、どういうわけか、自転車をヘラルドのアパートに置いたまま徒歩で来てしまったので、2人でヘラルドのアパートへ戻ることになりました。
明るい店内から外に出ると周囲はよりいっそう暗く感じ、普段は人通りの多いこの道も、ライトを灯した自転車が時折通るのみです。お店からヘラルドのアパートまでは5分もかからないはずですが、早く家に帰りたいという気持ちもあってか、その道のりが長く感じます。
来るときに見かけた街路の下の足型は、もうなくなっていました。
先ほどの橋まで帰ってきました。ヘラルドがお店の紅しょうがを見て思い出した、大学の共通の知人がしでかしたおバカなエピソードを横に聞きながら橋を見てみると、来るときは気になりませんでしたが、やや年季の入った橋でした。薄く緑色の塗装が施されていますが、最後に塗られてからかなりの年月が経っているようで、欄干はザラザラとしたサビの赤褐色がやたらと目につきます。
急にヘラルドの声が止まり視線を戻すと、橋の反対側から先ほどすれ違った女性が歩いてきます。今思えばここで橋を引き返すべきだったのかもしれませんが、この時はそのまま先へ進んでしまいました。
そんなに幅の広い歩道ではありませんでしたので、邪魔にならないようヘラルドとは前後になるように移動して先へ進みました。
この時は「ちょっとおかしい人かもしれないけど、見た目がイスラム戦士のヘラルドと一緒なら変に絡まれることはないだろう」という気持ちでした。
ちょうど橋の中央あたりで女の人とすれ違った瞬間、ヘラルドが突然、すごい勢いで両手で耳をふさぎ、そのままかがみ込んでしまいました。
私はなにが起きたのか分からずヘラルドに「どうした?」と呼びかけますが、ヘラルドは動きません。
私は腰を下ろしてヘラルドの前へ周り込んで彼の顔を覗き込みますが、ヘラルドは目を固くつぶっていました。
ちょっとしてヘラルドの目が開き、両耳をふさいでいた手も下ろしてくれました。
この間、ほんの数秒であったはずですが、突然の出来事に混乱した私たちにはかなりの時間が経っていたように感じました。
先ほどすれ違った女の人は、いつのまにか見えなくなっていましたが、地面には黒い裸足の跡が残っていました。
ヘラルドに何があったかを尋ねると、女の人がヘラルドの横に来た瞬間、なんだか分からないが、とにかくとても大きな音がした、とのことでした。
「ゴーーー」という大きな音で、人の声のような音も聞こえたそうです。
私にはまったくそんな音は聞こえませんでしたし、ここに詳細は書けませんが、ヘラルドはとある国で、多くの人命が失われた大きな事件に巻き込まれた過去があるので、もしかしたらそうした経験から来た心理的なものなのではないか、と思いました。
ただ少しだけ、地面に残った足跡が気になりました。
これはさっきの女の人の足跡なのだろうか。
ともあれ、今はもうその音がしなくなったようでしたのでヘラルドのアパートへ戻ることにしました。
さっきまで話していたおバカなエピソードの類の話をすることはできず、ヘラルドは先ほどの一件の理由について、すれ違った女の人に関係があるのではないかと疑っているようでした。
こういう時に「そんなことないよ」とか「気にしすぎだよ」と言える人は優しい人なのかもしれませんが、自分でも情けないと思うくらいに私はそんなことを言う気配りができません。
「橋の上は悪い霊が集まりやすい」とか「ヘラルドのアパートの向かいの雑木林が不気味だ」とか、自分が考える全ての霊的な要因をヘラルドに伝えました。
日中にアパートの階段を上がった時に感じた冷たい空気について口にしたのもこの時です。まさかあの時、ヘラルドも同じように感じていたとは思わず、私自身も身震いしてしまいました。
アパート前に広がる雑木林に怖がるヘラルドを励ましてなんとかヘラルドのアパートまで来ることができ、「じゃあ俺、帰るから」とヘラルドに伝えて自分の自転車の方へ歩きますが、ヘラルドの返事がありません。
「怖がらせ過ぎたかな」と反省してヘラルドの方を見ると、ヘラルドがまた、両手で耳をふさぎ、目を固くつぶっていました。
さすがに怖くなってヘラルドのところに駆け寄り、「おい、どうしたんだよ!」と声をかけると、今度は聞こえていたようで、ヘラルドの口がかすかに動きます。
「か い だ ん」
振り返ってアパートの外階段を見ると、階段の上の方から先ほどの女の人がこちらを見下ろしていました。
テニスボールくらいありそうな、大きな目をカッと見開いていました。
↓こんな感じでした。
本当に怖い思いをすると人って声が出なくなってしまうもので、私は叫び声をあげることもできませんでした。
しかし直感的に、
「目を合わせてはいけないものだ」
ということが分かり、すぐさま階段とは反対側の方向へ振り返りました。
階段とは反対の方向に広がる雑木林の方へ眼を向けました。
しかし、自分自身がさっきヘラルドに伝えた「雑木林が不気味だ」という話を思い出してしまい、怖くて雑木林も見ることができなくなってしまいました。
「口から出た悪い言葉は自分に返ってくるものなんだな」と冷静に考えてしまう頭とは裏腹に、体は震えてうまく動かせませんでした。
体の震えが収まるまで、ずいぶん長い時間がかかったように思います。
そのころにはヘラルドも落ち着いたようで、「本当に帰るの?」と尋ねてきました。
さすがに私もこうなったらヘラルドのことが心配ですし、自分のアパートに1人でいられる気がしませんでした。今日は泊まらせてほしいことを伝えるとヘラルドも安心したように笑ってくれて、携帯のライトで階段を照らしながらヘラルドの部屋に戻りました。
こういう時はふつう、寝ずに朝まで起きていることが正解なのかもしれませんが、心理的に疲れていたのか、部屋に戻って安心したのか、強い眠気がやってきました。
ヘラルドの部屋の風呂で頭と顔だけ洗い、ヘラルドの使っていないジャージを借りました。ヘラルドは私が風呂にいる間、風呂の扉の前に座っていました。
ヘラルドは普段ロフトに寝ているので、ヘラルドはロフトへ、私は下にあるソファで寝ることにしました。ヘラルドはロフトに上がるまでの間に、少なくとも5回は鍵がかかっているか確認していました。
ヘラルドは電気を付けたまま寝ようと提案しましたが、私は電気が付いている方が何かが見えそうで怖いし、寝付けないことを訴えて消灯することを勝ち取り、眠りにつきました。
普段と違う環境だと寝付けない私ですが、どういうわけかこの時はすんなり眠りにつくことができました。
今でも覚えているのですが、このとき夢をみました。
外国の夢です。
その国がどこかはわかりませんが、肌の浅黒い人たちが住んでいる国でした。暑い国のようでもありました。大雨が降っていて、ものすごい勢いで川が流れ、やがて川の水が町を襲い、人が見えたわけではありませんが、何人も人が亡くなったことがわかりました。
「ガタガタガタガタッ!」という激しい音がしました。
最初は夢の中の出来事かと思い目を覚ましませんでしたが、ヘラルドが私の名前を呼んで助けを求める声が聞こえてきました。
「たすけて!Mくん!助けて!!」
ここでようやく夢じゃないことが分かり目を覚ましました。
先ほどの女の人が部屋に立っていました。
部屋に立った女の人は私に背を向け、両手でロフトから何かを引きずりおろそうとしていました。
女の人が引っ張っていたのはヘラルドの左足でした。
私はあまりの恐怖に腰が抜けてしまい、とにかく
「ヘラルド!ヘラルドー!」と叫びました。
すると女の人の首がクルリと180度回転してこちらを振り向きました。
さっき見た、あの大きな目を見開き、ガバッと口を大きく開き、とてつもない大きな声で叫び声を上げました。
いままでの人生で聞いたことのないような、頭が痛くなるほどの高い金切り声で、反射的に耳を塞いで目をつぶりました。
どれくらいの間そうしていたかは分かりませんが、真っ青な顔のヘラルドが私の肩を叩いてくれて、ようやく事が終わったのだと知りました。
カーテンの隙間からは朝日が差し込んできていました。
ヘラルドの足には人の手形がついていて、部屋の床は濡れていました。
ヘラルドと私は「もうこれ以上ここにはいられない」という考えで一致し、とりあえずヘラルドに数日間分の荷造りをしてもらって私のアパートへ来てもらいました。
その後、ヘラルドは両親に事情を話してそのアパートから引っ越しました。
引っ越してからはヘラルドも私も、あの女の人に出会うことはありませんでした。
あの女の人が何者だったのか。
気にはしていましたが、思い出すのも嫌な思い出でしたので、この一連の出来事は大学を卒業するまで記憶の底に封印することにしました。
この封印を解いたのは卒業式の前日でした。
ヘラルドの両親が息子の卒業式に出席するために来日し、私を食事に招いてくれたのです。
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続きはまたの機会に。