岡部宿大旅籠柏屋 続き
前回の記事で、1階に展示されていた等身大のお雛様を見たことを書きました。
前回の記事はこちら⤵︎
1階は、武士が宿泊する場所で、一般の宿泊者は2階の客間でした。
かなり急な階段を登って、2階に行きます。
この建物は、歴史資料館にもなっています。
2階の客室には、いろんな展示物がありました。
2階の畳はヘリがない畳。
こんなところでも、区別されていたのですね。
実は2階はあんまりゆっくり見ている間がなく、下で呼ばれました。
今から入口の吊り大戸を閉めます。
これは、閉まる間際にいる人しか見られないですよ!
と。
入ってきた入口の上に、大きな板が持ち上げられていて、そのドアを降ろすというのです。
へえ~すごい!
でも、これ閉められて、私たちどこから出るんだろう・・・
ちゃんと、小さい出入り口から出してもらえました。
ここから出入りできるのも、また希少な体験です。
結構屈まないと、通れません。
父は大変そうでした。
さて、この建物の横には、内野本陣史跡広場があります。
本陣とは、江戸時代に大名や旗本などが使用した、格式高い宿泊施設です。
建物は残っていませんが、敷地はそのまま残っていたので、その間取りがわかるように表して、公園にしているようです。
傍から覗いてみると
その他、その奥には、ギャラリーや物産館、カフェなどもあったようですが、時間が遅かったので、閉まってしまいました。
さて、ここを出て、旧東海道を藤枝(西)方面に・・・
柏屋から1キロくらいあるのかな?
なにやら冠木門が見えます。
(実はここは後日行きました)
案内所の前です。
その奥になにやら大きな石仏がある。
よく見ると、五智如来公園と書かれていました。
という事は、5体の如来様?
と、行ってみることにしました。
宝永2年(1705年)福島県から、藤枝の田中城に移った内藤家の家老であった脇田次郎左衛門正明が、その2年後に寄進したものだそうです。
なんでも、藤枝の田中城主が誓願寺の本尊に病気平癒を祈願したところ、願いが成就し、病気が治ったことから、そのお礼として寄進されたのだそうです。
誓願寺の境内に、東海道に面して安置されていた五智如来像でしたが、誓願寺がなくなった為この地に移し、公園として整備されました。
左から宝生如来、阿閦如来、大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来です。
しかしよくみると、如来像は10体あります。
それぞれの像の後ろに、小さい像が5体あるのです。
実は五智如来像は2組あり、後列が田中城主が寄進したもので、前列は明治の中頃に作り直されたものだそうです。
歴史がある如来様が後ろにあるというのも、なんだかかわいそうに思いました。
この道は、この後藤枝〜島田へと続き、昔の人はここを歩いて、大阪や伊勢に行ったのだなあ、
と感慨に耽りました。
ようやく2月のおでかけ記事が終わった。
ずいぶん遅くなってしまったな。