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高野山旅行 6【高野山奥の院-2)
高野山奥之院、中の橋まで来ました。
前回の記事の続きです。
前回の記事はこちら⤵︎
前回、奥の院の中の橋まで来ました。
中の橋のすぐ横には汗かき地蔵さまがあります。
![](https://assets.st-note.com/img/1690982888669-VfTVsJAnGv.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1690982888724-p7OWnWHbEc.jpg?width=1200)
人々の苦しみを身代わりになって一身に受けているので、いつも汗をかいているという。
ので、まじまじと見ましたが、汗はかいていませんでした。残念!
そのすぐ横には、姿見の井戸。
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井戸を覗き込んで自分の姿が映らなかったら、3年以内に死ぬという。
怖いから見ない!という二人。
えー、もし3年以内に死ぬってわかったら、もう貯金もしないでやりたいこと全部、すぐにやればいいじゃん!!
なんて言って、のぞき込む私。
ばっちり映ったから、まだ死なないね。
私がそう言うと、ようやく二人も覗き込み、自分の姿が映って安心していました。
そこから少し行ったところに、ガイドブックで見覚えのあるお地蔵様
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このお地蔵さんに化粧をすると、美容の願い事が叶うと言われています。
とはいえ、かわいそうなくらいの赤ら顔。
なので、私は、肌色のパフを塗ってきました。
「どうか、肌がきれいになりますように!」
今更、シミが無くなるようにとか、美白になりたいなんて無理なお願いはしない!でも、これ以上の劣化は防ぎたいところです。
さて、その先もたくさんお墓や供養塔はありますが、気になったものの一つがこちら
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法然上人といえば、浄土宗の開祖。高野山は真言宗なのに、このように宗派の違う法然上人や、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の供養塔があるのも不思議。
来るものを拒まない、大きく広い愛を感じる空海の真言宗は、素敵だなあと思います。
また、なかなか立派だったのがこちら。
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家康の次男松平(結城)秀康の石廟です。
秀康は、どうする家康では、松井玲奈演じるお万が産んだ子供です。
秀吉との和睦を成立させるために、豊臣家に養子に出され、秀吉に子が生まれると、結城家に養子に出され、関ヶ原の後は、越前北ノ庄を与えられましたが、34歳の若さで病没してしまうという、ちょっとかわいそうな人生を送った人。
この石廟の左側は、秀康自体が母公(お万)を祀る為に1604年に建立、右側は結城二代忠直が1607年に秀康を祀る為に建立したものとのことで、重要文化財になっています。
ちなみに徳川3代を祀る霊台は、奥の院ではなく、女人堂から金剛峯寺方面に下りてくる途中、波切不動尊の近くに、立派な廟があるようです。
今回は、行けませんでした。
さて、あと見落としてはいけないのが、豊臣秀吉の墓所
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少し高台になっています。
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敷地は広いけれど、五輪塔自体は、そんなに大きいものではありませんでした。
秀吉は、高野山攻めをしようとしたけれど、高野山の興山応其上人の説得により、高野山攻めを取りやめ、以降は高野山の庇護と復興興隆に務めたとのことです。
その秀吉の墓より少し御廟橋近くの高台には、織田信長の墓があります。
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横には筒井順慶の墓もあります。
信長は、安土にて高野聖数百人を処刑し、高野山に攻め込もうとしていた。どの面下げてここに墓作ってんだ?という気も致しますが、そんな信長さえも、弘法大師さまは、浄土にお連れするのでしょうか・・・。
というか、だれが作ったのでしょう???
もしかしたら、戦のない国を作りたい、日本を豊かにしたい、そんな思いあっての事として、許していたのかもしれません。
さてこうして、とうとう御廟橋にやってきました。
ここから先は、御廟がある聖域中の聖域です。
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この御廟橋の36枚の橋板と全体の橋板の全37枚には梵字がかかれ、金剛界37尊を表しているそうです。
橋を渡ると気持ちが引き締まります。
この橋の下には、玉川が流れています。
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美しい流れです。
この川では、冬の極寒のなか、水行が行われるそうです。
ここから先は、禁止事項がたくさんあります。
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ということで、ここからは撮影禁止。
先ほどの、御廟橋の写真の奥にみえるのが、燈籠堂。
弘法大師の御廟を礼拝するための御堂です。
ここには、2万基以上の燈籠が掲げられていて、1000年以上燃え続けている「消えずの火」があります。
ここでは、お守りを買ったり、護摩木を書いて納めることができます。
私はここで自分と子供たちのお守りを買って、護摩木も3本書いてきました。
燈籠堂のさらに奥には、御廟があります。
弘法大師様が今なおいらっしゃるところです。
その前まで行くと、なんだか緊張してきました。
この向こうに弘法大師様がいる、
そして、今も瞑想を続けている。
というのが信じられるような気がします。
ぐるりと回って、燈籠堂の地下に入ります。
ここもたくさんの燈籠があります。
その奥、御廟の方向になるところが、少し奥まっていて暗くなっていて、そこにぼんやり弘法大師様のお姿(絵)らしきものがあるようです。
(暗くてよく見えません)
でもそれが、今の弘法大師様のお姿の気がして、何ともいえない気持ちになりました。
この場所で感じた気持ちを、うまく言葉にできません。
すみません。
是非皆さま、行ってみてください。
人によって感じ方は違うかもしれませんが、この場所も御廟の前も、こんなにも厳かな場所があっただろうか・・・と私は感じました。
こうして御廟橋の手前まで戻ってきました。
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橋のたもとにある水向け地蔵に水を手向け、先祖の供養をしたり、御朱印をもあっているうちに、10時30分の生身供の時間になりました。
生身供については、前回の記事で書きましたが、今も生きていらっしゃる弘法大師様に、1日2回お食事を届けることです。
御廟橋のたもとにある御供所を出て、燈籠堂に向かう所をカメラに収めました。
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ちなみに、御朱印はこちらでいただけます。
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奥の院の御朱印は、弘法大師様です。
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毎月28日には不動明王、60日に一度の甲子の日には、大黒天の御朱印もあるそうです。
この近くには、お茶などもいただける休憩所もあります。
そこで少し休憩しました。
帰りは奥の院の駐車場の方に出て、奥之院前のバス停からバスに乗り、奥の院の入口まで戻ってきました。
あんまり日陰がなくて暑くてバテました。
後から、見落としたなあ・・・と思う有名な武将や歴史上の人物の供養塔などもありましたが、まだ今日は行くところがたくさんある!ということで、次回のお楽しみとして奥の院を後にしました。
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日陰も多かったとはいえ、たくさん歩いて疲れた私たちは、山椒のソフトクリームを食べて一服。
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この辺りは、山椒の産地でもあるようです。
ソフトクリームと山椒がこんなに合うなんて思いませんでした。
さわやかでおいしかったです。
こうして、宿坊に戻って荷物を取ってから、いよいよ残りの高野山観光に出かけます。
残り時間は、4時間あるかないか・・・
どこまで見れるでしょうか???
ということで、本日の記事はここまでにいたします。
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