人はなぜ?
人はなぜ、あの時ああしていれば、こうしていればと言うのだろう。
そんなことを言っても、その時に戻れないことはわかっているのに。
あの時違う決断をしていれば、今のこの状態はなかったはずだ。私は本当はこんなものではないはず、と自分を慰めたり励ましたりしているのだろうか?
それとも、後悔するためでも、嘆くためでもなく、同じ過ちを犯さないためなのだろうか?
しかし人は往々にして同じ過ちを繰り返す。
なぜなのか?
その時は最良と信じて進んだ道。間違っていたと気付くのは、数年後や数十年後ということが多い。
気づくまでの間に、新たにまた同じ間違った選択を重ねていくのかもしれない。
一方であの時はこうするしかなかったと、肯定している自分もいる。
では、違う道を選んでいたら、自分は今より幸せで会っただろうか?
それはそれで、また違う苦労や苦しみがあり、やはり、あの時ああしていれば…と思ったのではないか?
どの道を選んでも、運命には逆らえない、などと運命論者のようなことを言うつもりはないけれど、人生生きていれば、苦労も失敗もあると思う。
結局のところ、結果はどうあれ、私たちは、その時は最良と思う道を選び、進んでいくしかないと思うのです。
そして、あの時そうすることを決断した自分を信じて、前に進むしかない。
しかし、当然困難にはぶち当たる。
その時に、ただ嘆いていたり、他人や何かのせいにしていかり、自分を慰めながら時が過ぎるのを待っていたら、ずっと苦しかった記憶からは逃れられない。
自分はどうするべきだったのか?何ができたのか?それを防ぐ方法はなかっただろうか?と考える。
それは決して自分を責めることではない。前向きな考察。
そこで、何かしら、こうすべきだったことを見つけたり、今後の生き方に何かしらのヒントを見つけられたら、それでいいんじゃないかな。
それを繰り返すうちに、以前は失敗したことがうまくいくとか、次はこうしてみようと思えたりする。
そして、結果同じ過ちを犯す回数は減るかもしれない。
とはいえ、人間なかなか思考は変わらない。
また違う過ちも犯す。
それは、生きている以上仕方がないことだとおもう。
その度に、前向きに考えて、少しづつなりたい自分に代わっていけばいい。
周りは分からなくても、少しづつ自分が変わっていくのを実感できるだろうか?
まずは変わったと自分で思い込むことを大事。
それが人生のほんのわずかな、誰も気づかないピンポイントでの変化でいいと思う。
それの繰り返しが、辛い過去の痛みを和らげる一番の方法だと思う。
時が経った時、あの苦しみさえも、今の自分を作ってきたスパイスだと思える。
苦しみの記憶だけではなくなる。
過去を嘆いたり、人を羨んだ生きていても、楽しいわけがない。
楽しかったことを思い出し、苦しかったことは笑い話にできる、そんな人生を送りたい。
月曜の朝から重い
長い…
ここまで読んでいただきありがとうございました。
自分ができているのではなく、こうありたいと思って書きました。
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