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紅葉鳥が鳴く朝

紅葉鳥 あなた想いて なく夜明け

秋の俳句を一つ作ってきなさいという課題に、なんとか捻り出して書いてみたものの、自分の独創性や語彙力の無さに落ち込む。

やっぱり、ありがちだよな…

美沙子はふっと笑った。

ずっと昔、親戚の結婚式で広島に行った時、宮島に宿泊したことがあった。
もみじの美しい季節だった。
朝早く目覚めた美沙子は、朝食の前に散歩をすることにした。
まだ観光客もいない静かな朝、
ちょっとヒヤッとした空気が、気持ちよかった。
その時、ピィーーッ という透き通った声が、林の中に響いた。

何の鳴き声?
何とも悲し気な鳴き声だった。
すると、少し先にいた鹿が、子犬の高い鳴き声のような声で、キャン、キャンと泣いた。
鹿の声だったのか・・・

「紅葉鳥」この言葉の意味を初めて聞いたとき、美沙子の脳裏には、その時の風景が浮かんだ。
紅葉鳥とは鹿のことで、
鹿が秋に妻を求めて鳴く声が寂しく美しいから、そう言われるようになったという。

寂しい・・・
そう感じるのは、どんな時なんだろう。
遠距離恋愛中の学生時代
会いたくても会えない。
当時、携帯電話普及前で、声を聴きたくても、なかなか聞けない。
そんな寂しさもあった。

しかし、今は近くにいるのに寂しいと感じる方が辛いと思う。
毎日当たり前に起きて、当たり前に仕事にでかけ、
出された料理を、テレビを見ながら無言で食べる夫。
食事が終わると部屋にこもってゲームをしている。

いつからだろう・・・
彼の瞳に私が映っていないように感じるようになった。
私が今、毎日何を思って、どんな風に過ごしているか知っていますか?
私を見てほしい。
昔のように、なんでも私に話してほしい。

美沙子はこの秋、あの時以来の宮島・厳島神社に一緒に旅行に行こう
と夫を誘った。
別にいいよ。
夫は普通に答えた。
宮島に宿泊した朝、美沙子は夫を誘って、散歩をした。
再びあの時のように、鹿が悲しげな声で
ピィーーッ と鳴いた。

自然に涙が流れた。
夫は驚いた顔で私を見た。
私は、日ごろ感じる寂しさを夫に伝えた。
美しい風景と、ピリリとした神聖な冷たい空気が、私の心を素直にさせてくれたようだ。

夫は美沙子を正面から見て言った。
ごめん、
仕事がきつくて、余裕がなかった。
そのストレスをゲームで発散してるうちに、それに夢中になってしまっていた。
美沙子がいるのが当たり前で、それに甘えて、そのありがたさを忘れていたよ。
家族になったからこそ、日ごろの感謝と思いやりを忘れたらいけないな。

美沙子は、久しぶりの夫の視線にちょっと照れながら微笑んだ。
これからも、よろしくね。

その時、再び鹿が、ピィーーッ と鳴いた。
その声は、とても優しく、朝日が差し込んだ真っ赤な紅葉の林に響いた。

#シロクマ文芸部
「紅葉鳥」から始まるお話を書いてみました。
フィクションです。

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