宇佐神宮
大分に行ったのは、もう1ヶ月以上前になりますが、ぼちぼちと記事を書き続け、いよいよ今回で最後になります。
そして、宇佐まで行って、行かないわけがない。
というか、ここに行きたかった!
宇佐八幡宮‼️
何度か来たことはありますが、それでも行きたくなるところです。
全国約11万の神社のうち約40%をしめる4万600社の八幡社の総本宮、それが宇佐神宮です。
725年に建立され約1300年の歴史があり、12世紀には、九州内の荘園の三分の一以上を保有していたそうです。
天皇の使いである勅使が遣わされる勅祭社(国内で16社しかない)であり、
神仏習合はじまりの地とも言われ、
神輿発祥の地とも言われ
( 東大寺の大仏が完成した749年、八幡神と大神杜女が大仏を拝するため紫の輿に乗って奈良に向かったのが神輿の始まりとされているそうです)
和気清麻呂の道鏡神託事件で歴史を騒がせ、
国宝の本殿のほか、さまざまな文化財を保有する、有名な神社です。
宇佐神宮に到着したのは、2時少し前くらいでした。
懐かしさが込み上げます。
本当は、この奥に見える鳥居(正参道鳥居)から入ってきたかったけど、駐車場が手前だったので、こちらから。
サムネ画像の鳥居です。
2月初めのまだ日が短い頃です。
ちょっと急ぎ目で回らなくちゃ❗️
この頃は梅の季節。
入り口近くにあった石碑。
神武天皇が宇佐に立ち寄られた際、のちに宇佐神宮内となる場所にて、接待を受けたそうです。
では、いざ宇佐神宮内へ
この橋を渡っていきます。
その先には、大鳥居が見えます。
大鳥居の手前、右側にあるのが、宇佐神宮の末社の一つ、黒男神社。
黒男神社は、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と五代の天皇に使えたと言われる武内宿禰命が祭神です。相撲の神様としても知られています。
現在も、門番として、この神宮の神様を守っているかのようです。
大鳥居を抜けて少し歩くと、左側の伸びる道があります。
大尾神社に向かう参道は、7月31日から8月2日の御神幸祭で、流鏑馬をする場所でもあります。
この参道が突き当たったところに鳥居があり、そこから大尾山を登ったところに、大尾神社があります。
大尾山は天平神護元年(765年)から延暦元年(782年)までの間,八幡大神が鎮座していた場所であり,和気清麻呂公が弓削道鏡の事件に際、この地で八幡大神の御神教を授かったそうです。
そののち、八幡大神は現在の場所に移されたということです。
こんな看板がありました。
再び宇佐八幡の参道に戻ります。
少し進むと、八幡大神が現れたという聖地があるというので、そちらに行ってみることにしました。
なにやら遺構があります。
平安時代の池内法華三昧堂(大貮堂)の跡だそうです。
法華三昧堂は、天台宗の僧侶の修行場であり、神仏習合時代の貴重な遺構とのことです。
その先に、池があります。
菱形池の中央付近には、能楽殿があります。
この能楽殿で、毎年10月21日に奉納される観世流能楽は、「宇佐観世」(御神能」と称され、県の無形文化財になっているそうです。
菱形池沿いを歩きます。
この辺り、空気が違う。とても神聖な場所の感じがしました。
そしてようやく。ご霊水の場所に着きました。
この場所に、八幡大神が、三歳の童の姿で現れたのだそうです。
現在も水は枯れていないけれど、あんまりきれいな水ではありませんでした。
また、その奥にある八角の影向石はこれ。
八幡大神が神馬にて天駆けられた際の、馬蹄の跡が残っているというけれど、どこに???
ここから、表参道ではなく、亀山を登って上宮に向かうことにしました。
この鳥居、なんだかすごく気になります。
なんかすごくいい感じじゃない? なんて話ししながら何枚か写真を撮ったのですが、その中の1枚が、なんだかすごく素敵。
さらに、友達が撮った写真は、もっと・・・
これもう絶対…
何かが映っているきがしませんか?
思わず、拝みたくなる・・・・
ここから階段を登って、亀山神社へ
ここを登ると上宮です。
でも何か違和感
その先の、西大門は改修中。西大門の絵が描かれた幕が張られている。
西大門は文禄のころ(1592~)改築されたといわれ、以来この桃山風の華麗な門で、県指定文化財になっています。
ちなみに、この西大門の手前の鳥居も、県指定文化財の宇佐鳥居。
ところで、この記事でいくつか鳥居を載せましたが、皆様が普段見ている鳥居と少し違うことに気が付きましたか?
宇佐神宮の鳥居には、額束と言われる鳥居の中央にある縦の柱がないのです。それから、黒い台輪が、2本の柱と島木のつなぎ目についています。
違いがわかりますか?
宇佐神宮の鳥居は、笠木のソリ上がり方も、かっこいいですね。
いよいよ、上宮です。
上宮は、勅使門を中心に回廊が巡り、
その内側にご本殿があります。
勅使門と本殿は国宝となっています。
ワクワクしてきたところですが、すでに2000文字を超えてしまいました。
やっぱり、1記事には収まらなかったか・・・。
ということで、続きは、次の記事にいたします。