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私の小学校時代 冬

朝の気温が、5度以下になると、今日は寒いな、なんて思う。

だけど、私が小学校の頃は、冬の朝登校時間普通に毎日は0〜1度くらいだった。
水たまりの水は凍り、田んぼや土手には霜柱が立っていた。

私は氷を割って歩いたり、その霜柱を、ザクザクと踏んで歩くのが好きだった。
当然足はキリキリと痛いくらいに冷えて、小指はしもやけになった。

当時家にエアコンなんてない。
あったのは、コタツと、台所にストーブが一つだけ。
朝起きてくると、ストーブの前にやってきて、着る服をまず温めて、それからそのままストーブの前で着替えた。

給湯器は台所にしがなく、台所は母が朝食や弁当作りで使っているので使えず、湯たんぽのお湯を洗面器に入れて、それで顔を洗った。

にも関わらず…

4〜6年生の頃は、一年中半袖の体操着に半ズボンで学校に通った。
学校に着くと、校庭を走る。
走ってあったまって、教室に戻り、そのまま授業。

冬場晴れの日が多いこの地域は、窓を閉め切っていると、教室内はとても暖かい。
窓際の人は、暑いというくらい。
廊下側の人は、少し寒かったかもしれない。
それもあってか、そんなに苦痛ではなかった。

着の身着のまま半袖で過ごし、帰っていく。

汗をかいたら着替えなさい
なんてことは言われなかった。
「半袖でいることが偉い」なんて、変な考え方があった。
まあでも、当時の子供は、本当に元気だったと思う。

私も6年間、病気で休んだことは一度もなく、元気に過ごした。

なんであそこまで元気だったのだろう。
今は、真冬に半袖半ズボンで登校する小学生は見当たらない。
いたら逆に変に思われるのかもしれない。

昔からすると今は暖かい。
家の中も、昔の木造の一軒家と比べると、今の一軒家は随分と暖かい。
マンションアパートなどは、もっと暖かい。

それに、エアコンやカーペット。
床暖房がある家もある らしい。
(うちにはない)

ヒートテック始め、暖かい洋服も増えた。
人々が、あの手この手で、冬を暖かく過ごす方法を考えてきたからこそだ。
それプラスの暖冬。
ずいぶんと過ごしやすい冬になったのだ。

当時の0〜1度でも、寒がっていたら、雪の降る地域の人からしたら、全然寒くないじゃないか!
と言われるかもしれませんね。

でも、人間の体は、住んでいる場所に順応するから、同じ気温でも、育った地域によって感じ方が違うんですよね。
ここで育った人にとって、0〜1度は極寒です。

しばらく静岡を離れていて、こちらに戻ってきたら、これくらいの寒さで、みんなもうそんなに厚着?
と驚きました。
今はすっかり慣れてしまった感じです。

また、私が子供の頃、
冬の間、あちこちで凧を上げる人がいたけど、そんな風景も今はない。
昔はどんなに寒くても子供は外で遊んでいたけど(私も)、今は土日でも外で遊んでいる子供を、ほとんど見かけなくなった。

時代は変わっていく
気温も変わっていく
そして、冬の風物詩も無くなっていく

日本は、春夏秋冬があるから素晴らしい。
このままでは冬が失われてしまうのではないかと恐ろしい。
花は、寒い冬を越えるからこそ美しくなる、という。
紅葉も、気温が急に下がって美しい色を織りなすという。


晴れて欲しいけど雨が降らないと困るように、
寒いのは嫌だけど、
寒い冬があってこその美しい自然を失いたくない。
そんなふうに思います。

私は、新年明けても朝職場に行く前の、遠回りウォーキングを続けています。
朝家を出た時に、寒くないように着込んでいくと、歩き出してすぐに暑くなります。

歩きながら
マフラーを取り
手袋をとり
上着の前のボタンやチャックを外し
時には上着を脱いでしまって、
小汗をかいて出勤します。

そんな時、子供の頃、冬半袖で走り回っていた自分を思い出します。
流石に今はもう無理ですが、
昔よりは全然気温が高いのですから、
もう少し薄着で過ごせるように、体を鍛えることも必要かな?
なんて思います。

とはいえ、寒い地域の方々は、暖かくしてお過ごしください。

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