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シャングリラ

いくつも記事を書きかけては放り出して、なのに、続きを書こうとすると、もうすっかり氣分が変わってしまっていて、なんにも書けない。心は平和だけど、知らない内に、いろんな色に移り変わっているみたい。

「今日は片づけをしながら、ワーグナーのニーベルングの指環を聴いて最高の休日だった。この(上演に約15時間を要するような長大な)作品も、他のアレやコレやも全部、最初から最後まで何度も聴くんだ!」と、彼が楽しそうに話すのを聞いて、私も聴いてみたけど、激し過ぎて途中で脱落。彼と、ことごとく反対の性質のものを好むので、ほとんどの場合、やっぱり、な結果に終わるんだけど、それでも彼の興味を引くものを、確かめずにはいられない。

直ぐに忘れ去る、という天賦の才に恵まれている私は、やっぱり、とひっくり返っても、また立ち上がっては、一つ所に落ち着いて穴を掘り進めている彼の後ろから、彼の眺めているものを覗き込む。可愛らしい。そして、確かめたら満足して、今度はそのこと自体まで、まるっと忘れてしまう。何でも7回は繰り返す、と決めて実践している彼は、そういう私にいつも驚いている。良くも悪くも、ひとつのことを深めていくということができなくて、どう頭を捻っても、人生にこれを成し遂げました、これと向き合ってきました、というものが見当たらない。

ただ、ある時から、頑張った記憶がないだけで、私はこれでいい、ということにした。人生って、履歴書のような記憶の羅列ではなくて、どういう氣持ちで、どういう風に生きてきたのか、ってことだと思う。そして、それって、目に見えないながらも、わりと、人の顔にまざまざと書いてあるものだ。

心を入れ替えて、幼な子のようにならなければ、天の国に入ることはできないであろう。

マタイによる福音18章3節

今度は、私の好きな音楽を『ゆっくり』聴こう。一度も行ったことのない、懐かしいポーランドの匂いがするから。どこで何をしていても、していなくても、自分の好きを追いかけていれば、楽園に辿り着く。

ヘンリク・グレツキ 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」