ナイトバードに連理を Day 6 - A - 5
(2797字)
早矢は石造りの通りを一人歩いていた。工房には戻らず、コーデックボートから離れても咎められることはなかった。茶賣の配下は誰も、早矢自身ですら、早矢が鉱山町から逃げ出すとは考えていなかった。
歩きながら視線を感じ周囲を見回すと、一際高い石塔の上からこちらを見下ろす茶賣の部下が手を振っていた。
茶賣は連れてきた手勢を鉱山町内外の見張りに戻していた。頼と再び別れたこともあり早矢の気分は晴れなかったが、茶賣を妄信する彼らの態度が軟化したことは歓迎するべきだった。早矢は躊躇いながら小さく手を上げて応えた。
「歩き続けて」
そして突然聞こえた声に転びかけた。
「合図したら右側の家に。見張りの死角になってるから」
早矢の驚きを無視して声は話し続けた。左右を見ても人影はなく、そもそも声は正面の誰もいない空間から起こっているように聞こえた。それでも早矢は声に従うことにした。早矢の聞き違いでなければ、その声はいま会うべき人物のものだった。
「今っ」
言われたとおり建物の一つに入り、薄明りの中に立ち尽くすこと数秒。早矢の目の前で布が落下するように空間が歪み、頭の先から七の全身が現れた。早矢が思わず後ずさるほどの近さだった。
「驚いた? 天狗の秘術、隠れ蓑でした」
七は薄く笑いながら見えないマントを手際よく畳んだ。早矢は最初からそうするつもりだったという風に入り口を振り返り、明るい外を窺った。人影はなかった。
「……正体があんたであることには、驚かなかったよ」
「つまんないわね。まあいいけど。あなた一人? 頼れる彼は?」
「頼は引き留められた。茶賣が何か勘付いたわけじゃないと思うが、撤収が早くなるかもしれない」
「いつも時間がない。茶賣にコーデックを渡しておいて、ろくな計画じゃなかったらどうしようかしら」
口から出る台詞の割に七の表情は明るかった。どいつもこいつも何が楽しいんだと早矢は辟易したが、茶賣だけ喜ぶよりはましかと思い直した。そして七に計画を伝えた。
「……私の方は問題ない」
早矢の説明を静かに聞き終えたとき、七から楽しげな表情は消えていた。
「あなたを連れていても、茶賣から逃げるだけならどうとでもなる。けどそうね、もしその場に他の狢がいたら……」
「冶具さんみたいな同行させる価値のあるモッカなら、茶賣はそうそう危害は加えない……。それが頼の読みだ。できるだけ行かせない手回しも考えるそうだが」
「全員無事に基地からも茶賣からも逃げ延びたとして、その先のあてはあるの?」
「短期的な逃走経路はある。長期的には……モッカは国も技術も失ったが、夜目が現れた。その希望があれば生きられる。これも頼が言ったことだが」
七は露骨に眉を顰めた。
「……気を使われてるって、分かってる?」
「当事者のあいつらがやれるって言うんだ。俺から文句は付けられない」
「そう。自覚があるなら私も筋違いね」
七はもう一度間を置いてから頷いた。
「あなたが考えた計画? それともこれも鵺の託宣?」
「……そりゃ、もちろん鵺の考えだよ」
「ふうん。モッカの民も知らないコーデックの隠し場所に、安全な逃げ道まで知ってるわけね。あなたの鵺は」
早矢は唇を歪めた。説明できるはずはなかった。
「信用できないか」
「むしろ逆、かな。そういう地図以上の情報は、神様の託宣でもなきゃ知らないはずだもの。モッカは今でこそ開放的な有様だけど、もともとは個人の引っ越しでも取り決めに縛られる国だったわけだし」
元商人の冶具ですら取引のあったこの街に来たことがない。早矢はその事実を思い出し、頷き、すぐに首を傾げた。
「……大げさに言ってるわけじゃないんだよな?」
「なに、夜目として認めてあげたのに文句?」
「違う。そんなに珍しい情報だとは知らなかったんだ」
「言っている意味が分からないんだけど。あなたが鵺から受けた預言なんでしょ?」
「そうなんだが……」
唐突に、七は言い淀む早矢から顔を逸らした。誰かに見つかったかと早矢も振り返ったがやはり入り口に人影はない。七の目は入り口から外れた壁の一か所に向けられていた。その振る舞いはアマフリが敵を見つけた時によく似ていた。
「例の工房が騒がしいわ。何かあったみたい。戻った方がいい」
「うおっ」
七は話しながら早矢の背中を押した。体重以上としか思えない強さにつんのめりながら外に出た早矢が振り向いたとき、すでに屋内に七の姿はなかった。早矢は行き場のない文句を飲み込み、訳の分からないまま走り出した。
七の言うとおり、工房の入り口を数人の兵士が囲んでいた。その顔触れは他から集まった見張りではなく、工房の中で作業をしていたはずの面々だった。早矢に気づくと兵士たちは道を開けた。円になった彼らの中心には地面に蹲る甘医師と、壁にもたれかかり座る頼の姿があった。
「なにが――」
早矢は言葉を失った。横たえられた頼の右足は、膝からあり得ない角度に曲がっていた。
「ごめん、ヘマした」
頼は荒い息を繰り返しつつ引き攣った笑顔を作った。早矢に向けられた細い眼は明らかに焦点が合っていなかったが、込められた意図は明確だった。
「棚が突然崩れた」
そう言いながら工房から出てきたのは茶賣だった。その顔は自身が傷ついたかのように苦々しかった。
「特定のコーデックに触れると起動する罠の可能性もある。何か知らないか、夜目殿」
茶賣の目は、嘘をつく必要がなくてよかったと早矢に思わせるほどに冷たかった。
「分からない。知ってたら……」
「言うだろうな。なにしろやられたのは頼だ。甘、どうだ」
「通常の骨折に見えますね。石術ではないでしょう。固定すれば治る程度です」
甘医師は顔を上げずに言った。なら早く処置してくれと早矢は怒鳴りそうになった。
「ただの事故ならいい。お前ら作業に戻れ、気を抜くなよ。甘、夜目殿のご友人だ。丁重にな」
茶賣はそう言いながら工房に戻る兵士たちのあとには続かず、入り口の傍を動かなかった。早矢は茶賣を気にしながら頼の隣にしゃがみ、その耳元に口を寄せた。
「話はついた。無茶な手回しだ」
頼は答えなかった。痛みに埋め尽くされているであろうその意識に言葉が届いたかは分からなかった。早矢は立ち上がり、そして茶賣に向き直った。
「本命の情報がある」
茶賣は嘲笑的に唇を歪めた。
「頼は気の利く奴だ。いきなり見捨てやしない」
なるほどそう見えるのか。早矢は考えながら額の汗を拭った。水門石の情報を守ろうしたが、仲間を守るためやむなく要求に応える夜目。あるいは頼はそこまで計算していたのかも知れなかった。
「……ここよりだいぶ遠くなる。首都にも近い」
「報酬が大きいほど試練も険しい。悪党の次は預言者らしくなってきたか」
茶賣は嘯きながら恭しく頭を下げた。
「では、不肖の身に託宣をいただけますか。夜目殿」
頼の浅い呼吸に気を急かされながら、早矢は水門石の在り処を茶賣に語った。少しでも真実らしく聞こえるようにと思いながら。 【Day 6 - Bに続く】
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