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じょうずにできない

2月1日。メッセージをリリースした(現行のひみつのめくばせver.はとりあえずYouTubeのみ)。これを境にSNSをお休みしようというのは展示が始まる1ヶ月くらい前から決めていた。おしらせをがんばりすぎてほとほとつかれたというのもあるし、入ってくる情報の量に耐えられなくなった、と言えば聞こえはいいけれど、とにかくつかれた。つかれたのにSNSに依存しているから「お休みします」と表明しないと延々やりつづけてしまうと思ったので「だれもお前のことなんて気にしてねえよ!」という声も聞こえてきそうだけれど表明した。

2月2日。またODをかました。1日か2日かわからない。覚えていない。とにかく絶望して、わたしの言葉は全て揚げ足を取られて真意が伝わらないのだと思った、気がする。が被害妄想も甚だしくて、おかもとくん(友人)やひかりちゃん(妹)に酷いことを言った。記憶がない。おかもとくんは拙宅までかけつけてくれたらしい。申し訳ない。

2月3日。ポップなODはポップに復活できるから意味なし意味なし〜。親に「あなたたちは毒親の可能性が高いです」「だからわたしはACの可能性が高いです」とラインをしてブロックする。夜中友人に1時間くらい電話で話をきいてもらう。

2月4日。

2月5日。気分がよくなくてずっと泣いていた。

2月6日。通院日を早めて病院へ。処方された漢方を飲んだ瞬間、喉が詰まったような感じがして息ができなくなる。妹に暴言を吐き、親に「毒親」とブチギレラインを送ってしまった手前、頼れる家族がおらず、おかもとくんにでんわするが当たり前だけど労働中でつながらず。このままだと死んでしまう、窒息死ってこんな感じなのかな、シンクでチョピゲロを吐いて、朦朧としながらブロック解除して父にでんわをする。すぐかけつけてくれる。症状は良くなったり悪くなったりを繰り返し、ジストニアも出始め、首が右に傾く。首というか体のすべてが右に傾く。指も固まる。呂律も回らなくなる。このまま歌えなくなったらどうしよう、シャッター切れなくなったらどうしよう、という巨大な不安が脳裏にこびりついて取れず、「こんなにくるしいなら救急車呼んでほしい」」と冷静な判断ができず救急搬送を望むも、父に車に乗せられかかりつけのクリニックへ。せんせい曰く、ODした直後に出る副反応で、体から薬がぜんぶ出れば症状はすべて収まる、ということだった。ほんとか。薬を出す薬と、眠剤を追加で出してもらう。その後も呼吸困難は不定期に訪れた。物理的に息がつまっているものの、眠剤を飲んで寝てやるからな!という気持ちで寝る。寝られた。ウケる。

2月7日。ジストニア、なんとなく収まる。首も顔も舌も喉も正しい位置にあった。一晩中強張っていたせいか筋肉痛みたいなものはあるけれど、正しい位置にある。試しにエイリアンズを一説歌う。歌えた。歌えた歌えた。よかった。それでも新キャラの薬を飲み始めたころにありがちなだるさがずっと取れなくて1日中寝ていた。音楽をきく気にもなれず、汚れた枕、薄いカーテン、丸まったタオルケット、天井を順番に眺めていた。おかもとくんにラインで謝罪。

2月8日。新キャラの薬がきいてきたのか、ものすごく気分がよかった。ジストニアも収まっていた。よかった。6時半に目が覚めて、ハローワークいっちゃおう!と思ってそのままハローワークへ。泣きそうになりながらなんとか就職相談をやっつけて、10時前だったので、新宿をぶらぶら歩いて、珈琲西武に辿り着けてモーニングを食べる。1日1食は正しい食事を摂りたい。そのままコーヒーを飲んで、日記を書いて、少し小説を読む。このまま帰ろうかと思ったけれど、「今日ならまだ行けそう!」と思い、テアトル新宿で「ケイコ目を澄ませて」をみる。映画館の待合の雑踏や予告編のクソデカボリュームには少し参ったけれど、映画自体はしずかですごくすきな映画だった。隣のおじさんは中盤からずっと寝ていた。
お休み中はアウトプット作業はあんまりしないと決めていたのにお友だちがあげていた漫画がめちゃ良かったので触発されていそいそとリリックビデオをコネコネし始める。「あんまり」だからまあいいか、と思いつつ、煙草は進むし、先のこともあってせんせいの言うことはきいてお酒は控えよう、うちには山ほどレーベンブロイとバドワイザーがあるけれど、と思っていたけれどビールも飲み始めてしまったし、なんなんだこれは。お休みになってないじゃないか。もっとぼんやりテレビ千鳥とかみようよ。パンティー三種競技みてケラケラ笑おうよ。

2月9日。夜中にオンラインストアをローンチ(ローンチってなんですか)。展示に来てくれたけどわたしの確認不足で在庫がなくてお売りできなかった方へ、ぜひご利用ください。展示には来られなかったけど魅力を感じてくれている方へ、ぜひご利用ください。xxxx円以上のお買いもので送料無料にしたかったけど送料無料にすると利益が出なくなってしまう。心苦しい。でも制作をつづけたい。お金がほしい。
きょうは4-5時間は安定して眠れた。おかもとくんとおにぎりを食べる夢をみた。早起きできたので、洗濯をする。まだ余力があったので掃除機もかける。まだいけそうだったので、妹に手紙を出しに郵便局へ行き、帰りのコンビニでたばこをカートンで買った。ひとのしゃべる声ってなんでこんなに動揺しちゃうんだろう。帰ってきてからはエネルギー切れでゴロゴロしながらスカートをききながら考え事をしたりやめたりする。煙草が吸いたくて完全防寒で外へ。BGMはもちろん染まるよだ。わたしにもこのくらいのセンチメンタリズムはありあまるほど持ち合わせている。もうだれにも触れてはいけないと思っていたけれど、思わずすきなひとに触ったら安心した。わたしにもこのくらいの積極性は持ち合わせている。でも、安心していいのかわからなくて、すきなひとが「また」と言って帰ったあと、ひとりになって、少しだけ泣いた。すきってなんだろう。触れたいと触れたくないの差はどこにあるんだろう。触れてほしいと触れてほしくないの差は。きょうは雪らしい。

2月10日。雪から雨に変わってゆくところをずっと部屋の窓からみていた。天気が悪ければ人出が少ないかも、と気づいて、たまっていたフィルム3本を持って、長靴を履いて傘をさしてカメラ屋さんへ。きょうはまだなんにもたべてなくて、待ち時間の間、ノーベルでパフェをたべた。おいしかった。パフェだいすき。完璧な見た目の完璧な満足感たるや。仕上がるまでの2時間くらい、パフェをたべたり日記を書きながら少しだけ泣いたりコーヒーを飲んだり煙草を吸ったりぼんやりしたりしてノーベルで過ごして、もう一度カメラ屋さんへ行き、現像してもらったネガを大事に抱えて帰る。歩きながら考え事をしたくて、帰りは東中野で降りる。BUMSでの用事をわたしの代わりにおかもとくんにお願いしていたけれどじぶんで行けたなあと思っていたけれど、おかもとくんから「行きます」というラインが来てお願いすることにする。ずぶ濡れでうちにマイクスタンドもろもろを届けてくれたので、暖房の温度をすきなだけ上げていただいて、未開封の人生ゲームを開封し二戦交えながらウォルトで韓国料理をごちそうするというわたし流の歓待をさせていただいた。もちろんわたしは二戦とも負けた。

2月11日。夢の中でも人生ゲームをしていた。もちろん負けた。お昼前に目が覚める。晴れた空を眺めながら煙草を吸い、じぶんがどうなりたいのか、どうしていけるのか、考える。3本目に火をつけたところで、メルカリで買ったすきな写真家の写真集が届く。
わたしはあたらしいことをしたいとか、歴史に名を残したいとかはない。きっと忘れ去られてゆく、通り過ぎられてゆく音楽しか作れない、写真しか撮れない、映像しか撮れない。「こういうMVを撮りたい」と相談したときに「それだと新規のファンの獲得はむずかしい」と言われて、わたしはあたらしいものを作りたいんだろうか?とずっと考えている。ずっとずっと考えている。
どこにルーツがあるのかわからない、なにがすきなのかわからない、と、言われることが多くて、わたしは、岩井俊二さんがすきだ、今泉力哉さんがすきだ、plentyがすきだ、江沼郁弥さんがすきだ、カネコアヤノさんがすきだ、枝優花さんがすきだ、川島小鳥さんがすきだ、そういうすきなひとから、憧れのひととから、多大な影響を受けたアーティストとして語られたい、あわよくばわたしはわたしに、だれかにそこにわたしの名前を並べてもらえるようにしてあげたい。それだけなのだ。
これを書きながらまた少しだけ泣いた。
わたしは元に戻りたい。戻れなくてもいい。あのときなにもしなかったひとになりたくないというきもちがあること、漂いはじめている気がする春の空気をかんじられるこの感性をあいしたい

■やさしいギター/カネコアヤノ

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