お母さんのお味噌汁。
母のお味噌汁の味はイマイチだ。
何がどう悪いのかはっきり分からないけど、何かが足りない、今一歩の味だ。
母もそれを自覚していたのか、私に料理を作らせたかったのか分からないけれど、よく
「お味噌汁はまきちゃん(私)が作ってよねぇ。お母さんより上手だから。」
と言っていた。
半ば乗せられて私はいつも味噌汁を作っていた。
水に昆布としいたけを浸しておいてできた出汁に火をかけ、煮立ったらカツオを投入。しばらくしたらカツオを取り出して、みじん切りにした生姜を入れるあとは適当にその場にある具材が入る。
豆腐だったり、ネギだったり、油揚げや里芋、じゃがいも、小松菜、ごぼう、わかめなど日によってまちまちだ。
具材が煮立ったら火を止め、味噌を溶き入れる。
味が決まったらもう一度火にかけ、ふつふつと煮えてきたらすぐに火を止める。
「私、まきちゃんの味噌汁が一番好き」
と母はいつもにこにこして私の味噌汁をおかわりしていた。
***
月曜日の午後、忙しさのピークを過ぎたあたりで関節が痛くなってきて、頭がボーッとして、鼻水が止まらなくなった。
前にもこの感覚を味わったはずだった。
前と言ってもそんなに前じゃない。
そう、あれは1月に入ってすぐの頃に私を襲ってきたアイツと同じ感覚。
「インフルエンザ」だ
その日のメンバーが私と異動してきたばかりの方の2人だけだったので、どうしても途中で帰ることが自分の中ではできなくて、マスクをしてやり過ごしたが、夕方耐えきれず、めちゃくちゃ謝って早退した。
その足で医者に行って検査をしたが、陰性だった。
熱は38.9℃あった。
看護師さんがとても優しく
「寒くないですか?」
「寝たほうが楽ですか?」
「ここに寝ていてくださいね」
「毛布持ってきますね」
もう天使に見えた。
「好きです」
としか思えなかった。
陰性だったけど、症状はどう見てもインフルエンザで、1月にA型をやったので、今回はB型に違いないということで、ゾフルーザをその場で飲んだ。
「うわああああつらいいい」
と呻きながらなんとか帰宅した。
体は熱いのに寒くて、眠いのに寝られず、眠っている時にはものすごいスピードで進み、細胞分裂を繰り返しているような細かく複雑で疲れる夢を見続けた。
汗でびっしょりになったパジャマと下着を2回着替えた。
つらい。
なにも食べたくない。
仕事を休んでしまった。
申し訳ない。
つらい。
健康だけが取り柄だったのに。
鼻の下に大きな熱の吹き出しが出来ていた。
唇の皮が上下ともに全部むけた。
お風呂にもはいれない。
つらい。つらい。つらい。
***
ゾフルーザは本当によく効いて、熱がすぐに下がった。
「お腹すいたな」
やっとそう思えるようになった。
台所に行くと、すりおろしたりんごと、カステラ、鍋には味噌汁、茶碗にはたけのこご飯がよそってあった。
「病み上がりにたけのこご飯は無理でしょ」
と破天荒な母にすこし笑った。
味噌汁を温めて一口食べたら美味しさに驚いた。
母の味がしない。(失礼)
すごく美味しいのだ。
なんだこれ?!なんだこれ?!
すごく美味しい?!
そう思って2杯平らげてしまった。
手前味噌だが、私の味噌汁に似ていた。
生姜が刻んであって、味噌がくたくたに煮えていなくて、おいしい。
おいしいけれど、おいしくて2杯平らげたけど、
母のあの何か足りない味が恋しく、寂しい気もした。
どうしてお母さん、味噌汁上手になっちゃったんだろうなぁ。
と寝癖だらけの頭でなんだか泣けてきた。
病気の最中は情緒が不安定すぎるらしい。
(これって母が成長した娘に抱く感情なのでは)
という疑問が頭をよぎったが、見て見ぬ振りをしてポロポロと涙を流し続けた。
母が亡くなってしまったら、あの美味しくない味噌汁も、このおいしい味噌汁もどちらも飲めなくなると想像してさらに泣いた。
32歳、独身、実家暮らし、彼氏いない。
本当に情けない自分にも泣けてきて、もうなにに対して泣いているのか分からなくなってきて、
幼女だった頃に泣き止みたくても泣き止めなかった感覚を味わいかけたところで犬が心配そうに見に来たので泣くことをやめた。
私も母以外の大事な人のためにはやく味噌汁を作れるようにならなくてはと思った。
まだ見ぬ誰かの忘れられない、記憶に残る味になりたい。なる。