子どもの想像の産物の私たちは
2010年に放送されていた、サッポロ黒ラベルの「大人エレベーター」というCMで、当時46歳だったリリー・フランキーさんが「大人」のことを「子どもの想像の産物」と言っていた。
その言葉が今でも心に残っている。
大人っていうのは「子どもがつくった『大人』っていう架空の生き物」だ。
子どもだった私たちが
「大人って何だろう?」
「大人になったらこうなりたい」
「こういう大人にはなりたくない」
「大人っていいよなあ」
「大人って大変だなぁ」
いろんなことを想像して、考えて、時を経て「オトナ」ができた。
「私って、こんな大人になりたかったんだっけ・・・」
と溜息をつく日もあるが、子どもだった私が色んな想像して選択をして、生きてきた結果であるから仕方がない。
子どもの頃、やりたいこと、なりたいものは曖昧で、夢と現実の間みたいな薄ぼんやりとした形でしか見えなかった。
「きっと、ハッキリと見えている子もいるんだろうな。」
そんな風に思った。
薄ぼんやりでも、ハッキリとしていても、「なりたい」「やりたい」に対して目を輝かせている子どもたちを応援できる大人になりたいと思う。
「やりたいことを仕事になんかできないよ」
「お金もらえりゃそれでいいの」
「世の中そんなに甘く無いよ」
上から目線でそんなことを言う大人にはなりたくないと思った。
現実を見ることは大切だけど、目の中にあるキラキラを濁らせるようなことはしたくない。
頭を押さえつけるようなことは言いたくないと思った。
子どもが途方も無いことを言ったら、
「そうか、じゃあどうやったらなれるか考えようか。」
と言える大人になりたいと思った。
子どもに「なりたい」と思ってもらえる大人になりたい。
そういえば、さっきから私、「なりたい」ばかり言っている。
そうか、多分、大人は子どもの想像の産物でもあるけれど、大人の想像の産物でもあるのだろう。
私はどんな大人になるのかな。