私は結婚がしたい。
2021年5月6日、私は35歳になってしまった。
「年齢は記号よ」なんて言われることもよくあるし、全く年齢を感じさせず、好きなことをし、好きなものを身に纏い、恋愛を楽しんでいる私より年上の人は沢山いる。
それでも、私は「35歳になってしまった」と思った。
30歳になった瞬間にすごくダメージを受けたことを思い出した。
20代の頃から心のどこかで
「30歳になっても結婚できない人にはどこか救いようのない欠点があるんじゃないか」
という偏見があったのかも知れない。
その偏見が自分に当てはまってしまったのでひどくショックを受けたのだと思う。
自分がその年齢になってから、辺りを見回して分かったことがある。
「世の中の未婚の人は、必ずしも問題がある人ばかりではない」
「未婚者にも既婚者にも問題のある人はいる」
ということ。
自分に大きな欠点があるかどうかは棚に上げ、そんなふうに周りを見ていた。
***
20代前半の頃の話だ。
通っていたジムの更衣室で、知らない人の会話が耳に入ってきた。
「私の友だちの家系ね、生理があがるのが早いんだって。その子のお母さんもおばあちゃんも30代前半で生理が止まってしまってそれっきりだったんだって。だからその子ね、大学卒業してすぐに婚活して相手見つけて結婚して子ども産んだんだって。」
「30代前半であがっちゃう人もいるの?!怖いね。でもその子すごいね。ちゃんと結婚して子どもも産んで。」
「うん。すごいね。頑張ったと思う。」
パンツ穿きかけの姿勢のまま、思わず聴き入ってしまった。
その頃の私は
「結婚する相手は自分のことを理解してくれて価値観がピッタリ合って、色白でスポーツができて読書好きで、嘘が下手で私よりも背が高くて、体の中心線が真っ直ぐで、ユーモアがあって、白シャツとデニムかチノパンだけで様になって、僻まれたらやりにくいから私より年収が多い人がいいなー」
なんて脳内お花畑なユートピアンだった。
そんな男はいねえ。
いたとしてもお前のことは好きにならねえ。
今の私ならそう思う。
だが、当時の私はそんな人を伴侶にすることを夢に見ていた。
先ほどの知らない人たちの会話はユートピアンな私を震え上がらせた。
パンツ穿きかけの姿勢のまま。
(どどとどうしよう!私も30歳過ぎたら生理が終わってしまうかも知れない!)
その日からだ。
婚活をしようと心に決めたのは。
***
東ニ未婚ノ子息アレバ
行ッテソノ御尊顔ヲ見テヤリ
西ニ女子ガ足リナイ飲ミ会アレバ
行ッテソノ席ヲ埋メ
南ニ病ミソウナ喪女アレバ
行ッテ怖ガラナクテモイイ(私モ病ミソウダカラ)トイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
私ノタメニケンクヮハヤメテトイヒ(妄想)
(以下略)
とにかく、飲み会、人の紹介、マッチングアプリ、お見合いパーティー、「うちの息子に会ってみない?」など、結婚相談所以外のやれる活動は一通りやってきた。
だが、脳内お花畑のまま活動してきたので、アプローチや告白されるも、その先のことを考えると「なんだか違う」と思って先に進めなかった。
「好き」という気持ち無しで先に進むのは失礼とも思っていた。
全然進展しない活動の中で私の脳内のお花畑は次第に一本、また一本と枯れていった。
***
35歳になって遅ればせながらも現実がようやく見えてきた。
自分が完璧ではないように、相手だって完璧ではない。
自分のことを一番よく分かっていないのは自分だった。
相手に好意を伝えることは自分が思っている以上に勇気がいることだ。
(自分が振られたとき吐きそうになってそれを知った)
私はその勇気に敬意を払っていただろうか。
言葉の節々に散りばめられたその人の優しさや、センスの良さに気づけていなかったのではないか。
「私が、私が、私が!」と自己主張オバケになっていたのではないか。
すごく嫌な女になっていたのではないか。
「汲む」そういうことができていなかったのではないか。
***
別に妥協をするつもりはない。
妥協をするということは相手にも失礼だ。
「妥協をした結果あなたとお付き合いしたいと思います」
と言われたら多分気を失う。
ただ、
相手の心の襞に隠された優しさ
言葉の節々に滲み出る人柄の良さ
不器用な殻に包まれた温かさ
そういうものへの感度を上げたい。
直感を大切にしたい。
自分のことも相手のことも信じたい。
気付くのが遅かった。
とてもとても遅くて、自分の子どもに会いたい自分にはもうあんまり時間がない。
焦っていると言われても
切羽詰まってると言われてもいい。
だって本当に焦っていて切羽詰まっているのだから。
笑顔が素敵でユーモアがあって言葉に優しさが滲み出ている。
そんな人に出会える自分になる。
そして出会える仕組みと方法を考えようと思う。
今が一番若いのだから。