「許さん」の分散。
私は嫌なことがあっても、食べてお風呂で鼻歌歌って寝れば大体のことは昇華できるタイプだが、どうしても許せないことが今でも根深く2つくらいある。
それでも「許さん」の元凶とも普通に話せるのは、少しずつだけど、「許さん」と「許さんくない」を分けられるようになってきたからかもしれない。
「許さん」の分散をしているからかも知れない。
「許さん」の分散とは、平たく言えば、
「お前のここが許せんのじゃボケ!」
ということである。
「ここ」以外は「許さんくない」になるし、「ボケ!」でもないのだ。
10代の頃は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」精神で生きてきたので、
実際憎い坊主の「袈裟」が落ちていたら、迷わず「さけるチーズ」のようにフサフサになるまで裂いていただろう。
それがいつからか、「許さん人」を作ることがしんどくなってきた。
「許さん人」を作るということは、
道に描かれたイラっとくるラクガキを大きな石で隠す行為に似ている。
ラクガキを見えなくするために大きな石を置き続けると歩けなくなってしまうので、結局自分が苦しくなる。
「許せんのは人じゃなくて、その人のほんの一部なんだ」
と気づいてからは「許さんくない」の部分に視線が行くようになった。
「『許さん』と思っていたけど、この人、いいとこもあるじゃん」
と思えるようになった。
ムカつくラクガキのムカつく部分はその色使いであって、構図自体は部屋に飾りたいくらい素敵なのかもしれない。
憎い坊主の袈裟が落ちていても裂いたりはせず、
「ほほう。縫製が丁寧な、いい袈裟ですね」
と言えるかもしれない。
きっとこの世界は「許さん」と思えることがいっぱいある。
それ以上に「許さんくない」ことで溢れているはずだ。
「許せん」は目立つから、つい、目を向けてしまいがちだけど、
ちゃんと「許さんくない」にも目を向けていきたい。
私はまだまだ特訓中だ。