「日常」という癒し。
最近、日記本が多く出版されているらしい。
有名アーティストや俳優のものだけではなく、一般人の日記本も世に多く出始めているのだとか。
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このコロナ禍で、私たちは「当たり前」だと思っていたことが全然当たり前ではなかったことに気づいた。
外でのびのびと遊んだり、食べ歩きをしたり、気の合う友人たちとワイワイ話したり、旅行に行ったり、新しい出会いを求めに行ったり、それらができなくなったことにより、いかに私たちは「不要不急な行動」に心を支えてもらっていたかを思い知った。
そんな中で、日記本が売れているそうだ。
常にピリピリして、疑心暗鬼になって、何が正解なのか、また、どこまでが正解なのか、これがいつまで続くのか全く分からない中でも私たちの生活は続いている。続けなくてはいけない。
コロナ前と今とでは大きく変わったものの影で、変わらずに日々繰り返されている日常は確かに、奥底に流れている。
それを目にした時、すごくうれしくなる。
毎日ご飯を炊き、少し水加減を誤り、柔らかくなってしまったり、
色んな具のお味噌汁に挑戦してみたり、
季節の野菜や魚、果物で胃袋と心を満たされたり、
桜が今年も綺麗に咲いたり、
今日も犬が可愛かったり、
どんなヒトコマも文字になると、その人の眼差しを感じる。
自分の中にあたたかくてやさしいものが流れ込んでくるような感覚になる。
共感、そして安心がある。
見失いかけていた自分らしさを思い出す。
人の日記やエッセイにはそんな癒しの効果があるのではないかと思う。
「日記は人に見せるものではない」と教わった小学生の頃のおぼろげな記憶があるが、どんどん書いて公開してもらいたい。
売ってもらいたい。
noteには色んな人の日常がたくさんあって、読むとホッとする。
私も誰かの羽を休める場所になれたら、これほどまでに嬉しいことはない、と思う。