眼は見るためにある
二重瞼にあくがれわれを責めやまぬ娘らよ眼は見るためにある
と詠んだのは歌人の小島ゆかりさんだ。
この歌を読むと、
「どうして二重に産んでくれなかったの!?」と母に当たっていた思春期の自分がよみがえり、お腹の奥がキュウっとなる。
今でこそ、自分の目の細さには諦めがついたが、少女だった頃の私にとって、「二重じゃない」ということは大問題だった。
学校に行く前に毎朝見る鏡の中の自分は、「今、鏡を見ている」ということを忘れそうなほど、どこを見ているのか分からなかった。
それほど目が細かった。
(私、今、『かわいい』の対極にいる。)
鏡の中の「よくないもの」から目をそらし、心をしぼませて登校していた。
学校で「遺伝」の授業を受けた時、「二重まぶた」は優性遺伝だと教えられた。
「それはおかしいです!!」
机を叩いて立ち上がりたかった。
私の両親は二重だ。
二重が優性遺伝だとしたら、どうして私は二重じゃないんだろう。
どうして劣勢の方が出てしまったんだろう。
運が悪すぎないか?
くじ運が悪すぎないか?
自販機ではよく「あたり」が出る。
チョコバットではよく「ヒット」が出る。
そんなくじ運は要らない。
その分をどうして神様は二重まぶたに分け与えてくれなかったんだろう。
もう、なんだか色んなものに腹が立ってきて、特に身近な母に腹が立って、
「どうして二重に産んでくれなかったの?!私を作る時、気ぃ抜いたんじゃないの?!」
という暴言をぶつけていた。
母は反抗期真っ只中の娘をろくに相手にせず、
「全然気ぃ抜いてないよー。勉強して目を使うと二重になるよー。痩せると顔周りがシャープになって目が大きくなるよー。」
と言っていた。
腑に落ちないまま、
「確かに目を使えばいいのかも」
とほんのり思い、勉強を頑張ったけれど、二重にはならなかった。
20歳を過ぎ、アイプチやらつけまつげやらで偽物の二重を作る方法を覚えたが、私の分厚いまぶたはその時だけしか二重でいてくれなかった。
友だちは
「アイプチしてたら、ある日突然本当に二重になった」
と言っていたが、私に「ある日」はやってこなかった。
「きっと私はアイプチに向いていない」
早々に切り上げてしまった。
その頃、「かわいいの対極顔」に見慣れてしまったためか、目についての執着はほんのり薄れていた。
だが、目は顔の中で大事な部分だと思い続けていた。
ある日、職場の女性と「顔のパーツでどこが重要か」という話をした。
その人は「口と鼻」と言っていた。
私は「目」と答えた。
「えー!目よりも全体のバランスが大事だよ。目が残念でも口や鼻でリカバリーできるけど、目が綺麗でも口や鼻がまずかったら印象は『まずい』になるじゃない?」
とその人が言った。
「そうなんだ」
と思った。
私が思うほど、周りの人は目に執着はないのかも知れないと感じた瞬間だった。
それまで、私にとっての「目」は見られるものだった。
しかし、小島ゆかりさんが娘たちに言ったように「眼」は見るために付いているのだ。
見られることだけでなく、ちゃんと見ることに眼を使おうと反省した。
それに今では細い目も昔ほど嫌いではない。
笑った時に目が細いと「ものすごく楽しそう」だからだ。
だからこれからは「ものすごく楽しそうな人」で行こうと思う。