憧れのまほうつかいが死んだ。
私の初めてのりぼんコミックスは、たしか、父の友人が遊びに来るときに買って来てくれた「ちびまる子ちゃん」だったはずだった。
読み始めてすぐに大好きになった。
本編とは別に書かれたエッセイ漫画も好きだった。
タイトルは忘れてしまったけれど、フランス人形のように綺麗なお姉さんと、こけしのようなももこさんのお話が切なくて好きだった。
しかし、何よりも私はあとがきのページを愛していた。
あとがきには面白いマンガを書くひとの日常の出来事が面白く書かれていて、なんどもなんども読み返した。
「エッセイ」というものは、幼い私にはよく分かっていなかったけれど、
ひとの生き方や考え方、独特な語彙を知ることの楽しさを知ったのは「ちびまる子ちゃん」がきっかけだった。
中学生になってから、さくらももこさんの「憧れのまほうつかい」というエッセイを買った。
エロール・ル・カインというイギリス人が、さくらももこさんの「憧れのまほうつかい」だった。
ルカインの絵を見て私は息を呑んだ。
小6の頃に、自由教室に置いてあった1冊の絵本の前から動けなくなったことを思い出したのだ。
その絵本は、紛れも無く、さくらももこさんの「憧れのまほうつかい」が描いた絵本だったのだ。
その、「キューピッドとプシケー」という絵本は、モノクロの絵本だが、繊細な線で描かれていて、とても美しい絵本だった。
モノクロだけど、どの絵本よりも光を放っていたように見えた。
まさに、私も魔法にかかっていたのだ。
好きな人の好きなものが自分も好きなものだと分かった時ほど嬉しいことはななかった。
いつもふざけていて、簡素的な顔の作りのまるちゃんの作者と、繊細で静かで華やかな絵を描くエロール・ル・カイン。
どう考えても交わらない気がしたけれど、ちびまる子ちゃんの扉絵や表紙はとても繊細で美しかったことを思い出した。
「この人はこんな繊細さを隠し持ってまるちゃんを描いていたのか」
と胸がドキドキした。
さくらももこさんの「まるむし帳」という詩画集も買った。
やはり、ちびまる子ちゃんとちがって、ふざけてなくて、でも、底に流れているものは変わらず温かくて、それが不思議で、嬉しくて、初めての気持ちで、ドキドキした。
面白い人は、その身体に沢山のものを詰め込んでいて、それらは「面白い」だけではなくて、悲しさだったり切なさのようなものもたくさんあって、その中から「面白い」を掬い上げて、しっかりと捏ね上げて、いちばん優しい形でわたしたちに届けてくれるのだ、ということに気づかせてくれたのも、さくらももこさんだった。
私に「初めて」をたくさん教えてくれたのがさくらももこさんだった。
サイン会があったらいつか行きたい。
そう思い続けていた。
突然の訃報に声が出なかった。
私の憧れのまほうつかいはさくらももこさんだったのだ。
たぶん、私はこれからもごつごつとした文章でも、ずっとずっと何かを書き続けるのだと思う。
憧れのまほうつかいのことを思い出しながら、自分の身の周りにあった面白かったこと、感動したことを、自分の眼差しで誰かに伝えたいともがき続けると思う。
そうしているうちに、それが誰かの気持ちを軽くさせたり、誰かを笑顔にさせることができる日が来たらとても嬉しい。