「不良教師事件」は存在しない
天理教辞典に、明治37年「この年、教内廓清のため、教師1400余名を淘汰免職」とあります。この出来事について「不良教師事件」という名の下、当時の教会本部が教内の反教団分子の粛清を行ったと言う物騒な話としてネット上にアップされる時があります。この怪文書について、その真偽のほどを検討してみたいと思います。
冒頭にアップした画像は某HPに掲載されている記事です。不良教師事件として天理教twitter村に配信されている記事の元になっていると考えらえれる記事です。この某HPは真面目な研究者が天理教を良く研究して作成したものでありますが、良く読んでみると間違いが散見されます。これはその中の間違った記事の中の一つです。
このアップされた記事を一読すると、泉田藤吉や万田万吉は「教祖派」「教祖の教理を受け継ぐ者」であり、「本部の方針に謀反する不良教師」だとされ、反対に教会本部は教祖の教えを受け継がない悪役として描かかれている事がわかります。こんな事はあり得ないことは誰の目にも明らかではありますが、記述があまりにも具体的なので騙されてしまう可能性もあると思います。
そもそもこの出来事は「事件」などではありません。これは事件ではなく、独立請願運動の中の一つの本部の施策にすぎません。その内容は上村福太郎著「潮の如く(上)」P75や「中山眞之亮伝」P296に掲載されています。当時、教会本部では一派独立を成し遂げるために、内務省との交渉の真っただ中でした。その任に当たったのが松村吉太郎で、氏の回顧録にはその時の様子が詳細に記録されています。松村吉太郎の回顧談を見てみましょう
「どうも天理教は、やたらに教師を造るのだね。粗製氾造だよ。だから、絶えず世間の問題をひき起こすのだ。松村さん、教典実行と一緒に、整理できないか……」「ともかくも、教内の廓清をやって下さい。どんなに立派な教典が出来ても、教師が悪質では、百年河清を待つと同様です……」 内務省
一派独立を実現するためには内務省からの通達を聞かざるを得なかった事が分かると思います。天理教の教師の廓清をやれと!と内務省から迫られたのです。そして、松村はこれを実行に移そうとしました。その時の松村の心情が書き残されています。
「…さりながら、信徒といい教師といい、教祖様の教えを奉じて、ただ助け一条に、まっしぐらに進んでいるのだ。宗教の世界を、法規で画一的に整理しようとは無理も甚だしい。殊に、身を捨てて伝道に従っている人々を、どうして捨てられよう…」「…苦慮に苦慮を重ねて、そうして、有名無実者、死亡者などを拾い上げて、千四百名の淘汰を完了した…」 松村吉太郎談
教師1400余名を淘汰免職は一派独立運動の一つとして行われたのであり、教内の異端や反教会本部の者を排除する為に行われたのではありません。
改竄捏造文書の一例
ここにアップしたツイードには平野楢蔵の言葉として「天理教会本部は天皇と天皇の祖先を神様と言っている。教祖を神様と言う者は不良教師である。辞任してお詫びせい」と書かれていますが、捏造文書に尾ひれの付いた改竄捏造文書の一つだという事が理解できると思います。
不良教師事件などは存在しません。騙されることのないよう気を付けたいと思います。
※天理教twitter村には改竄捏造文書をアップしているグループがあります。ただ、それがどんなグループであり、その構成メンバーが誰なのかという事については、コメントは控えさせて頂きます。