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愛の周波数を届け損ねた話。

今日は、7月7日。七夕。

わたしにとって、七夕は 3年前の出来事が
忘れられません。


遡ること3年前。2017年5月。

『Sendai Sound GHz 
(センダイ サウンド ギガヘルツ)』
略して、”Sギガ”
というアイドルユニットが生まれました。

とあるプロデューサーが現れ、
”仙台から、愛の周波数を届けるアイドル”
と言ったような内容が、
Twitterにつぶやかれていました。

当時、地元のユニットに所属をしながら
ソロでの活動を始めていた私は

このツイートを見たときに、
「このグループとの兼任が出来れば
地元のユニットがもっと有名になるかも」
と、思っていました。

プロデューサーに連絡をする頃には、
既にメンバーが3人ほど集まっていました。
グループトークのメッセージで、
これからの活動について、そして
活動していく上での名前を考えました。

”仙台の街にまつわる名字を使うこと”
がグループで活動する上での決まりでした。

「青葉」「愛子」「花壇」「西花苑」
「花京院」「泉」「小鶴新田」「定禅寺」

などなど。

そこで、わたしは
”定禅寺通りの銀杏並木のように 輝きたい"
と想い…
「定禅マキノ」として、活動を始めました。

このユニットでの、デビューの条件は
「Twitterのフォロワーを
500人以上にすること」でした。

この条件はあくまでも、所属メンバーと
プロデューサーの中で共有されていた内容で、
Twitter上などで言ったことは
ありませんでした。

次々とフォロワーが500人を突破する
メンバーのみんな。

私も無事にTwitterのフォロワーが500人を超え、
デビューが決まろうとしていました。

そんな最中、残念なことに
ユニットを辞めてしまうメンバーもいました。

辞めてしまったメンバーに対しての、
プロデューサーのツイートが…

「○○(メンバー名)が脱落してしまいました!
ここまで○○を応援してくださった方がいたら
申し訳ないです!…」

といった内容でした。
その当時、メンバーの間では
「あれが辞めた子に対しての言い方…?」
と、なんとなく その当時から
プロデューサーに不信感のようなものを
抱いていました。

それから数か月後、私ともう1人のメンバーが
このユニットを脱退してしまいます。

私は、家庭の事情で 仙台での活動が
厳しくなったため。

もう1人の子は、自分がもともと
所属していたユニットに専念する為。でした。

私がグループを脱退した頃に
残っていたメンバーは2人。

Sギガが誕生して、約4か月後。7月7日。

”フォロワーが500人にならなければ
プロデュースの対象にならないこと”を

Twitter上に書きこんだメンバーがいました。

それを見た時の私は、
Twitter上で応援してくださっている方々も、
もしかしたら言わずとも なんとなくでも
分かっていたんじゃないかな…
と 思っていました。

そのツイートを見たプロデューサーが、
「○○(ツイートしたメンバー)が
内部事情をTwitterに出したため解散します。」
と、ツイートをしています。

そのツイートをしてから、そのプロデューサーは
グループトークのメッセージにも返事をせずに
音信不通となりました。

その時の私は、既にグループトークからは
抜けていたのですが

その時に在籍をしていたメンバーの子と、
メッセージでやり取りをしていたので
脱退した後の、Sギガのことも聞いていました。


プロデューサーが突然いなくなり、
どうしたらいいか分からない。


プロデューサーがいなくなったころに、
脱退したものの 現状を把握したメンバーと
プロデューサーがいなくなる寸前まで
在籍をしていたメンバー2人が
同じグループメッセージに再び集合しました。


その頃が7月の…

…次回に続きます。

またね(  ´꒳​`  )

P.S
(参考文献)
思い出せなかった部分をこちらの記事から
引用させて頂きました。
https://ameblo.jp/dai2naokiti0607/entry-12290835593.html




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