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"生きること"と"自分"に集中していたら28歳に突入していた🎂


お久しぶりーふです🖐️

はいさい。もあなです🌺

しばらく、生きることに集中していました。

なんか投稿しなきゃと思ってネタを探しても、
前みたいに溢れ出す気持ちがあまりないのです🕊️


心の底から諦めがついたのかもしれない。


残酷だけど、病気ってその流れがあるとよく聞く。

 

【闘病患者の心のステップ】

・受け入れられない、絶望期
・避けられない治療、肉体&精神的負担期
・諦め始めて整え始める、闇落ち期
・完全に諦めがついて残りの日々を全うする期


病気が発覚した8月にこの内容を免疫学のwebサイトで見た時に、「え、私ってこの先の人生諦めなきゃいけないのか?」と落ち込んだの覚えてる。


でもさ、、


あれから7ヶ月が経過したけど、


どんだけ悩んでも考えても泣いても、何一つ変わらない現実が毎日自分のもとにやってくるんだよね。


だからやめたの。


考えるのも、怖がるのも、悩むのも、泣くのも、

とにかく、何もかも。やめたの。🕊️


そしたらすっごい心は楽になった。


諦められず、しがみつくことが心を蝕むんだなって。


執着が私にとって1番いらない感情になったの。


必要ない人いらないし、無駄な時間いらないし、自分が嫌なことする暇なんてないよ。


1番できなかった、素直に生きれるようになった。


そしたら憎んでた元彼のこととか、元友達のこととか、パワハラ上司のこととか、積み重なった負の感情がどーでもよくなって、気にならなくなった。


さようなら。


これがforgivenessてやつなんだ!

許すのは相手じゃなくて自分の心と状態を受け入れることなんだって、やっとわかった。🕊️


ここまで来れたのは人生最大の危機に陥って、そうするしかなかったからなだけ。


普通に生きてたら私はまだ憎しみと悔しさと諦めがつかずに、鬱が悪化して自殺でもしてたか?と本気で思う。


生きたくても生きることができない人に失礼だ。


今の私は、死にたいとか思えてた自分がどれだけ恵まれた環境にいたのか痛感している。幸せだった。


だから難病になって心も体も強制的にリセットさせられたのだと思う🕊️


年始に4度目の入院治療をしてから、
なんと今日まで私は部屋から出ていない。
(散歩とかはしたけどほぼ出ない)



感染症になれば透析に近づくのだ。


マジ本気モードの引きこもりなので、特にどこにも行っておらず、行く予定もなく、クソ田舎の実家で闘病してるから友達も彼氏もいないし、大好物である人すら存在してないので、特段綴ることない。


もっぱらソロ活動



でも最近、気持ちや考えをデジタルタトゥーに残しておくのはいいなと思うようになって。💗


それは悲しい理由だけど、


死とか不自由というものに自分が確実に実感して近づいた時、明日死んだら私の声は幻になってしまうんだと思うようになったから。


今私が生きているということを刻みたい。


もしかしたら親より先に逝くかもしれないから、これを発見してもらって私の生きた形を残しておきたいという気持ちも少なからずある。


そんな寿命に直感する病気じゃないけど、でも10年後腎不全率は50%と言われてしまってる。


そして初めて死んでいく人を見る機会が増えたり(入院)して明らかに意識するようになった。


病気になってから死生観が生まれた。🌏


写真フォルダを見返したら今月誕生日(2/8)だったので、いいタイミングと思って、気持ちやこれからのこと振り返りを綴ってます。


2025.02.08


かつては週3で飲み歩いて深夜までBarやらクラブやらでかけて、春はスケボーやジムで体を動かして、人と会うことに自分の存在価値みたいなものを感じてた元パリピだった私も強制シャットダウンなのよ。



🇹🇭



半年は生きた心地しなかった。

誰かの投稿見ると、心も体も魂が抜けていった。


なんで私がこんな思いしないとなの?


孤独で不安で怖くて。


でも、それも執着なんだよね。


友達と出かける、人と繋がる、社会とつながる、という依存先にに執着してたんだよ。


自分どこなん?


生涯治らない病気になって、全て失った。

貯金も健康も依存先も恋人も仕事もキャリアも夢も友達も一気に何もかもなくなった時、私は一体なんなのかわからなくなった。


そこに唯一残るのは、自分なんだよ。


その守るべき自分にすら気づかなくて、私は無価値な哀れな世界一可哀想な人間だと思ってた。


嫌でも怖くても不安でも何一つから逃げることが許されなかった、逃げれば逃げた分、命に直結するから。


こんなことになってるのに、
自分がかなり笑えない状態にいるのに、
それを信じたくない自分がいて、
どこかで夢なんじゃないかと思う日々があって、
朝起きて現実と向き合う。


それをひたすら繰り返していた時もあった。


つらくて太陽の下でとりあえず空見てた時もあった


病気になって本当に心から気づいたことは、こんな状態になってるのに常に人の心配ばかりしていたこと。


誰かに心配されたって、結局自分が自分のこと心配してトリートしてあげてないんだから治るわけがない。


ぁあ私こうして積み重ねで鬱にもなったんだなって、本気で感じた。


理由はなくてたまたま運が悪かっただけだけど、
透析免れないかもしれません、10年生きれるかは半分の確率ですって言われた時に、1番に心配したのは親のことだった。


この病気になった不安から親に人間ドック受けさせた。


B判定、C判定の項目がたくさんあってやばいじゃん!て心配して、ストレスで泣いたりしたけど、よくよく考えたら20代でD判定の自分の方がよっぽどやばい。


1番の親孝行って私が生きることじゃね?私が私を大切にすることじゃね?という悟りを開いた。


ZEN 🧘‍♀️🫧


でも正直いえば


私には、60になって人間ドック受ける、この未来、ないんだろうな。


そう思ってしまった。

その時から人の心配よりも自分の心配をしようって。


だからnoteから離れていました。


泣いてる暇があれば1秒でも多く寝たいし、

不安がる暇があるなら1秒でも働ける今
お金を稼いで未来の医療費に当てたい。 

悩む暇が1秒でもあるなら
その1秒で行動して次に繋げたい。


ただ過ごしてると、自然と、ずっとこの生活続くんだろうなって無意識でみんな思ってると思う。


人生のタイムリミットを設定されると変わるよ。


わたしは何一つわかっていなかったし、
わからなくて当たり前だったと思う。


この投稿だって刺さる人は健常者じゃないと思う。


私だってあの渡邊渚さんがPTSDでガリッガリで闘病してた時、あー大変そ😩で終わってたもん。


わかってほしいなんて、さらさら思ってないのがこちら側の人間たちの気持ちなんだよね。


健康でいた時は、五臓六腑健康で、足があって歩けて、目が見えて、耳が聞こえて、性の認識が一致してて、それがどれだけ恵まれていたことなのかなんて考えたことなかった。


多分頭で思ったとしても、意味を理解してなかった。


病気になってから私を励ましてくれた人、応援してくれた人、寄り添ってくれた人、アドバイスしてくれた人、ほとんどが見ず知らずの体に何かしらのディスアドバンテージを抱えた方だった。


私はなんて小さな人間だったのだろう。


人の痛みに寄り添える人間って、自分も同じく深い傷を負った経験とか乗り越えたことあるんだなって。


今も全く会ったことない人たちが毎日励ましてくれて、薬飲み忘れた時もすぐ対処法教えてくれたり、海外行けないのかなって落ち込んでた時はタイの腎臓内科紹介してくれたり、みんなのおかげでなんとか今日という日を穏やかに過ごしています。


病気になってから自分の体への絶対なる自信がなくなった時の心の不安定さに直面してつらかった。


社会から健常者として扱われなくなる悲しさ。


どの広告も、どのサービスも、どの本も、どんなインフルエンサーのどんな言葉も、何もかもが、"ただし健康であること"という無意識の条件がそこにはあることに気づくようになってからは、どうしていいのかわからなかった。



闘病のまま誕生日を迎えた28歳。


何もできないし、何も買えないし、どこも行けないし、悲しくなるのが嫌だから仕事も入れた。

私が家にいるせいで親も何もできない。


今までの私なら、誕生日に1人とかあり得なくて、なげき悲しみ悲劇のヒロインぶって人集めて盛大にパーティしてたと思う🥂


ろくにちゃんとした食事もできなくなって、
行動制限も人と会う制限もできて、
医療費と不安に押しつぶされそうな毎日。

家族の大きさ、手元にあるものへの感謝🫂


何もないただ毎日同じように流れる両親と犬との時間や、食べられる範囲で食べるおいしいごはん。


全部塩抜き


そんな毎日が本当に、ありがたくて。

この平凡な時間がずっと続けばいいのにな。


だなんて…


そんなことを思った28歳の誕生日でした。


まとまりがなくなってしまったけど、これが初見発覚してから一年だった私のキモチ。


兄から無言で送られてきた。
とても心配してると思う


Moana

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Moana🌏@元鬱タイギャル🇹🇭
闘病の治療費に使用させていただきます😭🙏💰