ずっともう前だけを見て進んでいけばいいよ、
一年間、お疲れ様でした。
師走というだけあって今月もたくさんのことが降り注いで足早に駆け抜けていったそんな一か月でした。
今月は願ったり祈ったり、涙を流したり、そればかりしていた気がします。
「天の時、地の利、人の和」とはよく言ったもので全てが揃うタイミングは本当に掴めない流れ星みたいなもので、今年の前半はその一瞬の中に自分がいて頑張ることを味わうことが可能な世界にいさせてもらえて振り返るとすごく幸せでした。
目の前に座っていた大切な仲間が来れなくなった時、私たちははじめて健康な体がいかに大事か気づく。当たり前にしんどいと嘆きながらこなしていた仕事が出来なくなった時、私たちははじめて仕事が意外と好きだと気づく。
どうか無事でいてくれますように、と
早くまた一緒に働けますように、と
そう願って祈って弱者であるわたしたちは上からの指示に従って数字を上げ続けた。いつでも安心して戻って来れるように、毎日数字をあげようと動き続けた。
自分自身も先月体調を崩して検査をした身だから絶対無理せずにいようと誓ったはずだけど、誰一人欠けずに働くという当たり前のことができなくなった時、そんなことは言えなくなった。
大丈夫じゃなくても、大丈夫だと答えて、大丈夫だと自分自身にも思い込ませた。
勉強会をしようと言っていた資料に付箋を貼って、「新商品一緒に提案行きましょう」と未来の約束を記してフォルダに入れた。
人生の大半を弱い立場で生きてきたから、強い立場の人には理解してもらえないことも多いし、上からの立場の指示にいつも内心一つも納得いかないそんなひねくれたわたしだけど、それでもわたしは自分がいる居場所のみんなが一番大事だ、と、そう思った。
それでもやっぱり、変わらなきゃいけないのは、変化を求められるのはいつだって弱い立場の者だ。
バックグラウンドやその時々の状況を汲んでほしいと叫ぶのは弱者の言い訳なんだろうか。
わたしはわたしの中の正義を信じ抜いて、正しい方向への努力は実を結ぶと唱えて進むことしか多分これからも出来ない。
諦めることも受け入れることも、出来る限り目標に近づくために無理をすることも、どれもこれも経験してきたけれど、終わりのない数字の世界では自分の信念がないと荒波の中を進んでいくことは容易くない。
もしいつの日か自分自身が側から見たときに強者の立場になったとしても、絶対に相手に寄り添って考えることを、たとえそれで自分の心を消費したとしても、相手の状況を汲んで言葉を選ぶことをまるでタトゥーを彫るよりももっと強く、今年最後の教訓としてわたしは心に刻んだ。
今週の月曜日は頭痛と吐き気、胃痛がひどくて朝起きあがるのがやっとで、なんとか用意をして電車に乗った。乗り換えのときに目眩がしてホームでしゃがみこみ、電車を数本見送った。目の前がぐるぐる回っていた。慌てて追加でカバンの中から薬を出して飲んでもすぐには効かない。イヤホンからは沙也加ちゃんの歌が流れていた。
もう、わたしも本当に全部疲れたから終わりにしてしまいたい消えてしまいたい、もうよくここまで頑張ったから許して欲しいとそんな感情に取り憑かれそうになったあとすぐに真反対の絶対に絶対にこんなとこで終わってたまるかという気持ちが込み上げてきて、ただそれだけの思いで足を運んだ。
わたしが休んでも代打もいない。本当に誰も代わりにこなしてくれる人がいない。それ以上に、こんな日に限って数ヶ月かけて作った大事な大事な大口のアポイントがあって、そのために人も呼んでいるから絶対に行かなければ、こんなとこで終わってたまるか、とその一心で足を進めた。
あの時、ホームで大丈夫ですか?と声をかけてくれたお兄さんにありがとうございますも言えなかった。本当は休むべきだったと思うし、それが賢明だっただろうけど、悔しかった。
そうやって行った挙句、接客中に吐き気がしてトイレに逃げ込みなんとかそのお客様だけ対応して、遅刻したのに早退するという非常に情け無い結果になった。
誰にも言えなかったけどなんだかもう色々と我慢してきた疲れが本当に限界なんだろうなとふと冷静に思った。それでも、一日だけお休みをもらって、翌々日からなにもなかったようにそれなりに元気に働けたのだから自分の生命力を疎ましくさえ感じた。
人に言わないだけで意外と負けず嫌いです。
まだまだ絶対出来る、もっと出来る、と昔から自分で自分に言い聞かせて生きてきたから。でも本当はただただ、なんにもできない無力な自分が大嫌いだったからです。だからか、いつも一番が欲しいわけではなくて、二番目か三番目をいつも望んでいて、それはわたしの自信の無さが故であるけれど二番目には二番目の三番目には三番目の素晴らしさが光っていることを知っています。
そして本当は理解しています。
わたしの代わりなんかいくらでもいて、ほとんどの人にとってのわたしはどうでもいいもしくは興味がない存在であることを。それは悲しいことではなくて、ただただそこに横たわる真実であり、さわやかな答えだということを。
一年間、それでもこんなわたしに関わってくださった全ての人に感謝を。
沙也加ちゃんの件で心に穴が空いたようでした。
沙也加ちゃんの歌をずっとずっと聴き続けたこの2週間、電車でふいに涙が込み上げたり、やっぱりどうして、と思ったり、そろそろコロナも落ち着いてきたなら来年の銀河鉄道の舞台は見に行きたいから年末年始に調べようと嘘ではなく、今月の始めに一人思っていたところでした。メーテル役のあなたはきっと最高だっただろうなと思います。色んなことを想像したところで、もうどれが真実かなんて分からないのに、あなたが何を思っていたのか知りたすぎて毎日のように調べてしまいました。
「ミュージカルは一音でも外すと命取りなので毎回本番もオーディションだと思って演じています」と言っていたようにあまりにも繊細で真面目で責任感が強すぎたからいざという時にワガママになれなくて、甘えた先は傷つきやすい場所が多く、四角い部屋を丸く掃除できないように、どんな時も全力で笑顔で立ち向かっていたのかなと、そんなことを思ってみても、本当に大事なことはそんなことではなくて、あなたが残したたくさんの歌が、言葉が、舞台が、それをずっとずっと讃えていくこと、わたしはいつまでもそれを宝物にして立ち上がって進んで行くこと、きっとそれが一番大事なことなんだろうと思います。
モーニング娘。が全盛期だったあの頃に、あなたが書いたデビューシングルever sinceはとっても歪で若干15歳で「壊れかけた夢 拾い集めたら そう 立ち上がって ずっともう前だけを見て進んでいけばいいよ きっとそんなものだから」だなんて、寂しくてまっすぐで強い歌詞を書けてしまうことがすごく印象的で、あなたの透き通った綺麗な声が最初に聞いた時から好きでした。でもきっとそれはあなたの経験値からくるもので人より特別で孤高な人生だったからこそ、いつも歌詞には「僕」を使っていたのかな、なんて想像してしまうのはわたしもずっと心の奥底で孤独を感じて生きてきたからなのかも。
もしかしたら、人生なんて、「きっとそんなもの」なのかもしれません。
わたしも死ぬんじゃないかと、心配して何人か連絡をくれました。沙也加ちゃんが大好きだと公表していた一定のお友達には、共通点があるからこそ言わなくても自分が応援していた人が消えてしまうことがどれだけ衝撃的なことか分かるからこそ、わたしが消えてしまわないように連絡をくれたこと、本当に感謝しています。中には一年以上ぶりに連絡をくれたお友達もいて、わたしのことを思い出してくれて連絡をくれて本当にありがとう。
だからこそ、こうやってなんとかまた一年なんとか命を繋いで過ごせた自分にも感謝を。
もっともっともっと強くなってよね、わたし。
本当に色んな意味で時間がなくて、ここから二年が勝負だからこそこんなところでずっと足踏みしたくない。具体化したい未来を引き寄せられるようにそのためにどんなに辛くても甘んじることなく、誰かに甘えたりすることなく、いつの時も孤独を貫くことを、そのために努力を惜しまないことを、どんな未来になったとしてもこれでよかったと、これこそがわたしだからと、そう笑って言えるようにちっぽけな自分なんて追い越していこうと思います。
そう、つまり、もっとシンプルに美しい涙しか流さないと決めて、ずっともう前だけを見てどんな雑踏も生きていこう、と。
2021年ありがとうございました。良いお年を。