産まれる場所は選べない⑨【苦労人だった母】
父の話は以前書いたのだけれど、ギャンブル依存症になった母はどんな人生だったのだろうか?
母は幼い頃から親戚の家に預けられていたそうだ。私の大好きだった祖母は駆け落ちして母を出産し、すぐに離婚したらしい。祖母が出稼ぎに行くために母は預けられていたんだとか。肩身が狭かったのか、15歳で一人、誰も知らない場所へ引っ越し、住み込みのできる小さな喫茶店をみつけ働き始めた。それから数年後、当時大学生だった兄達の父を紹介され大学卒業後に結婚。母は専業主婦になり、二番目の兄が産まれ離婚。離婚理由は相手方の不倫だったそうだ。それもまぁまぁ修羅場で、相手の女性が義母と母のところに乗り込んできたらしいから、さすがの私もビックリな話である。
その後、ホステスをしていたところで私の父に出会い私を身ごもり内縁関係に。父は私が産まれてすぐ肝硬変を患い、内縁関係なのに母はブッ飛んだ父を最期まで看取ったのだ。その間10年ぐらい。母にとっては長かったのか…短かったのか…。おまけに父が自殺を図ったあの日、救急車を呼んだのは仕事が休みで家にいた母だった。
私が母の立場だったら…
想像しただけで倒れそう。
あまり母のことは知らないけど、複雑な幼少期を過ごし、大人になってもなお苦労してきた人なのは間違いない。それは正直こどもの私には関係のないことで、もっと自分を見つめ直し接し方を変えて欲しかったが、"毒親の呪縛"がとれた今では母に対する見方も変わってきた。
愛し方がわからない。甘え方を知らない人。
おそらく母も人格が歪んでいったんだろう。それだけだったのかもしれないと思う。
この母に随分と苦しめられてきたが、今はもう恨んでいないし憎しみも感じていない。でも、やっぱり人として合わないし親としての考え方も合わない。そこはもう年老いた母は変わることができないだろう。今は自分が穏やかでいられる距離を保ちつつ付き合っている。
つづく