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禁じられた遊び-2

真夜中の真っ暗な海は平気でも、どうしても怖くて、なかなか飛ぶことが出来ないことがあった。

屋根から飛び降りることだ。

現実的にあり得るとどこかでわかっていて、リミッターを外してはいけないと無意識で危険を察知したのかもしれない。リアルにやってしまったら一回こっきりサヨウナラ、だし。

でも現実で屋根から飛び降りる勇気などないチキンにこそ、夢は有用で尊い。夢はひとりの未成年にも親の同意もなく門戸を開くのだ。


毎晩、どれほど丹念に飛行夢の発生条件を探しただろう。夢の途中で醒めてもダメで、意識が無くてもダメ。自由に夢をコントロールしたかった。

風呂上がりのタイミングをずらしたり、ベランダに出て夜風に当たってみたりと、布団に入るまでのバリュエーションを変え自分に成功パターンを叩き込んだ。
わたしの中のどこかにあるちょうどいいポイントに、自分がハマるよう。

地味な調整が功を奏したのか、少しずつ屋根から飛び降りることに成功するようになった。
が、次の問題は、飛距離だった。


屋根から飛び降りることはできても、次の屋根に届かず落ちてしまうのだ。地面に落ちるときは必ず下に木が用意されていて、宙ぶらりんになっては、夢で良かったと安心した。夢なら屋根から落下しても怪我はしない。本当に夢は便利だ。


さてこの飛距離が出るか否かは、もうお気付きの方もいるかもしれないけど(いる?)恐怖心に左右されるようだった。

それに気がついてからはいかに怖がらずに飛べるかを、さらに夢の中で夢を検証した

(ものすごく妙ちくりんなことにものすごく真剣なコレも「子どもらしさ」の範疇だと思っているけど、実際自分の子どもに同じことを勧めたい気は、俄然、ない。多分止めるとおもう)

夢なんてきっと数学と同じ。方程式の解法を体に叩き込めば、安らかに吸収できるはず。
有り難いはずの教育の恩恵を勝手に夢へ転用したわたしは、瓦の表面がゴツゴツかツルツルかの摩擦の違いを計算に入れながら、慎重に何度も着地の練習を繰り返す。

なんと熱心な公文式学習法は夢の中さえ通用し、ついに明晰夢の成功パターンは完成した。

屋根から飛び降りる秘訣を編み出したのだ。それは、夢の中に黒ずくめの男たちを登場させることだった。(これ、夢?)

彼らは顔は見えないし心もない黒子のような男たちで、女ではないが実は性別もなく年齢不詳だ。

彼らに目的はない。
ただ決して、捕まってはいけない。

最初は特に目的もなく、彼らは単なる遊び仲間として産まれた。


黒子の男たちから逃げようとすると、屋根から落ちる恐怖心が和らぐ。それでかなりの飛距離が出た。


そうなったらもう屋根から屋根を飛び渡る夢に一晩中、耽った。楽しくて仕方ない。何しろ自転車で20分かかる友達の家まで、数分で着く。
夢のような話じゃないか。


ただ不思議なことに夢の世界はいつも無人だった。

バイパスを横切っても車の一台もない。たまに灯りのついた窓から人の家を覗くも、本を読む人やテレビを観ている人もいない。布団ももぬけの殻だ。

誰もいない街の中、屋根の上を飛び歩く。真っ暗な夜の真っ暗な校舎の上で寝転んで星を眺めると、気持ちが良い反面、どこか飽きたような気もした。

そんな時、急に教室の中から誰かが見ているような気がして怖くなった。まさかあの男たちだろうか。

むりやり自分に目を開けさせると、いつもの天井が見えた。見慣れた部屋にいることに安心し、そして今度こそ夢も見ないで眠った。

あの黒ずくめの男たちは、そんな風に少しずつわたしの想定から逸れて自由になっていた。

でも少しの恐怖で終えられるような、遊びじゃない。
怖い思いをしたところで何だというの。

だってたかが、夢なのに。

ああそうだ!もっと高い所から飛び降りて、もっと遠くまで、帰ってこれないところへ行ってしまおう。
線路に沿っていけば、まだ明るい街の中へ遊びにいけるかもしれない。
帰りたくなったら、いつでも目を開けさえすればいいのだから。


……やはりあれは想像力の賜物ではないだろうか。
あれは本当に夢?
なんせ、授業中に目を開けたまま大人の自分を夢見ていたようなわたしなので、どれを持ってして夢と言っていいのかよくわからない。


いずれにせよ夢遊びは好調だったし辞めるつもりは微塵もなかった。

まだ見たこともない遠く離れた繁華街へも行けた。無人の繁華街でも、信号は定期的に色を変える。光るネオンに囲まれ、コンクリートが縦横に広がるスクランブル交差点の真ん中で、もしかして?と思った。

(もしかしてわたしに見えないだけで、この道路には透明な誰かたちがいるのかもしれない)

だけど、それなら好都合。
見えないなら誰も居ないのと同じだから。つまり、わたしを見る人もこの世界のどこにもいないのだから。


人に会いたくない、そんな願望を夢に投影するくらいには、あの子どもは色々なことが苦しかった。かと言って現実には、1日たりとて誰にも会わずにいられる日などない。

あの明晰夢の動機は空を飛びたい、なんて可愛いものだったはずだけど、本当に欲しかったものは、あの無人の世界だったのだとおもう。人に隠れてイタズラをすれば誰にもバレないから、それもあっただろうけど、切実に誰もいない世界が欲しかった。

いや、誰の目も気にしなくていい世界が欲しかった


何にせよ散々遊び倒したこの明晰夢遊びなのだけど、ある夜をきっかけにパッタリとやめてしまった。
飛べなくなったのだ。
飛び方を忘れ、体の使い方を思い出せなくなった。

原因として思いつくのはあの事だけだ。今でもよくわからない。

その夜、不可解な事が起きた。