見出し画像

ゴキブリを食べたから、吉夢なわけじゃなくて。

誕生日にゴキブリを食べる夢を見た。
それがとてもいい夢だった。

寝起きですぐに、スマホの電源を入れて、大阪で起きた拳銃強奪事件の犯人逮捕の速報を確認した。子どもの登下校の心配が少し消える。
ああよかった、と一安心した後、あれ?と思った。

(さっき夢で、ゴキブリ、食べた?)

保育園の頃に住んでいた家で、朝食を囲んでいた。
あの時、両親は止むに止まれず(理由はもちろんお金)起業したばかりで、裕福ではなかったと思う。それでもあの部屋に住んでいたときに起きたことは、楽しいことが多かった。

わたしは大人になっていて、大人になった弟と妹、そして若いままの親たちに囲まれている。夫と子どもはいなかった。

朝食に出てきた赤いお椀をすすり、口の中に具を流し入れると舌に違和感があった。ざらざらしておかしい。
不思議に思って箸に乗せて出してみると、そこにゴキブリがいた。
いやさっきまで口の中にいた。

ソレは、きちんと煮上がった姿で、赤茶色くふっくらとして柔らかそうだ。
夢の中で食べたことのない食材(?)の煮上がりを色やほぐれ具合まで補正しているところが、如何にもわたしの夢らしい。
その忠実な再現性のお陰で、裏側も柔らかかった。ひどい話だ。

それで舌にいくつかナニが残ってしまい、とっさに手元にあったフキンで舌を拭き取るも、もういくつかは飲み込んでしまった。

「お母さん、ゴキブリ食べちゃった」

穏やかな朝の食卓は一瞬でてんやわんやした。
しかしそれは「まあ大変!ごめんね!」とかいう類の慌てぶりではない。父も兄弟も、突然同じ食卓で起きた未知なる体験に興味津々で、我先にとわたしの感想を探ろうとした。どちらかというと「どんちゃん騒ぎ」に近い。ひどい話だ。

でもたまらないのだ、わたしには。
本当に、昔の、大昔の。
誰もまさかこの先、母が精神を病むだとか、高齢でも会社を経営せざるを得なくなるだとか、色々な何かがここにいる誰の身の上にも起きるとは思っていなかった。
たまらないくらい、昔のままなのだ。

「お姉ちゃん、どんな味だった?」
「おい、すごいなぁ。どんな感触だった?」
「あら味噌汁を変えようか~」
(母が一番変じゃない?)

現実とは異なるけれど、確かに過去のまま家族は大笑いした。

朝日が明るい。

今や煙草のヤニで茶色く染まった母の衣装ダンスが、綺麗なベージュ色のままでひどく懐かしかった。
あの好きだった畳の匂いと布団の匂いは、そのままこの朝日の柔らかな光と同じテクスチャをしていた。風変わりなはずの食卓と家族を、暖かで賑やかな光が取り囲む。あの頃はそんな風に世界を見ていたのかもしれない。

「味噌汁の味がした」

そう言って舌の残骸を見せて「残ってない?」と聞くと、今では隠されてしまったあの時の無邪気さで妹が笑った。

「お姉ちゃん、エビの足食べたみたいだね~」

それに一同はまた大笑いした。ああ若いと、笑い声にも力が漲るのか。

「うん、普通に味噌汁の具だった」

不思議なもので、夢の中で未知の食材を食べても、味噌汁の具は味噌汁の味がする。まあ、さすがにゴキブリは測定不可なのかもしれない。

一応、今飲んでいる薬の影響もあるのかもしれないと「ゴキブリ 食べる 夢」と調べてみる。

「ゴキブリを食べる夢はコンプレックスを克服する吉夢です!」

思いもしない結果である。例の夢心理を研究した過去のおじさんの研究結果を現代風にアレンジしたら「吉夢」となるのかもしれない。

言っても、自分の深層心理に強烈に興味があるわけじゃない。
見えないことは、わたしには無いことと同じだから。

あのゴキブリの煮上がり具合が、意思に反してとんでもなく忠実に再現されていたことと、あの温かな食卓を夢で思い出せたことが、今のわたしの大切なひとかけらの真実なのだ。

願望も事実も詰め込んだ、思いがけなく幸せな夢を誕生日のじぶんに贈るような自分に「なかなかいいね」と思った。

36年目の、朝のこと。