風をくれる人
夫は出かけるときに助手席にわたしを乗せ、もう運転に飽きたと嘯く。
だれかさんは運転できないからな、とわたしをみて笑う。
そう言えるようになるまでどれくらいの時間がこの人に必要だったのかなと、わたしはいつもおもう。
夫の中にながれる時間がわたしには見えない。
彼はたぐいまれなる優しさと、大いなる忍耐と、雷のようなインスピレーションをその身体に内包している。
この人はそれまでどうしていたのだと思う。
そんなにも純粋な宝玉がこの都市にねむっていて、あの上京したばかりの崖淵で途方に暮れていた自分に、かみさまが糸で空から動かして出会えたとしかおもえない。
夫の体に眠る輝きを見るたび、この人はたからものだと、わたしは眩しいものを見ているような気さえしてくる。
彼は何台も車を変えて、今はコンパクトな車に落ち着いている。
チョロQのような動きを身体に感じ、この車はこの人の手だとおもう。
わたしは必ず窓を開ける。少し窓枠にあたまを預ける。
頭全体で、肩先まで風を受け、外の景色が流れるのを見ている。
このすべてが、この人のくれたものだ。
わたしは彼がくれたプレゼントを、全身で甘んじて景色を味わい風を吸う。
抱かれ労わられ慰められ、身も心も愛撫を受けている、一匹の人になれる。
運転中の彼に、そのすばらしさを伝えたくてウズウズする。
あなたがくれたものなんだ。
わたしは濃淡の混ざる緑と風と水の匂いと音を体に沁み込ませながら、あなたが誇らしくなる。
わたしは、夫は魔法が使えると信じている。
風を起こし、自然のパノラマ映画を上映してしまう。
いつも違うものを。いつもそのとき最高の映画を。