川になれ
中島飛行場 三鷹研究所跡地の都立武蔵野公園は
なだらかな丘と窪地を持ち
いちめん、背丈のひくい緑の絨毯におおわれている。
かつての中島飛行場は広く
いまその敷地内には、
体育館ひとつ
平成になって設立した都立公園がふたつ
飛行場をひとつと
みっつの大学と高校がひとつ
そして後進である大手自動車工場がひとつ
収まっている。
うちひとつ、都立武蔵野公園の向かいの公園には
栗やグミの木などが、くつろぐように生えていた。
そこに大きな扇型のコンクリートが、ふたつある
まるで地中に埋められた巨大なドラム缶が
風化とともに少し顔を出したかのようで
一見、子どもの遊び場に使っているのかと
見間違いそうになる。
まったく違うけども。
その背の低いドームをのぞくも
真夏の昼間でもつきあたる奥が見えず、
暗く深い洞窟のように静かだった。
中島飛行場三鷹研究所跡地に、いま唯一現存する
73年前に降り注いだ火の粉の痕跡である。
日本の零戰の2/3を輩出した工場に勤めた
多くのうら若き名のない者たちと
近所に住まう、また名もなき者たちは
この石のドームに避難し
焼け石の中で命を焦がした。
戦艦1隻の費用で 3000機の飛行機を 生み出し
日本の防衛に回すのだと、大正6年に創業した
中島飛行場。
同年、明治乳業が日本にミルクを注ぎ始め、
関西では、古の天皇陵の復興のために
民から家と土地を奪った。
暗示に富んだ1年だとおもった。
**いや、そうして日本は回ってきたのだろうな。 **
日本のごく一部の人間は常にそのやり方で
数多くの名前のない人間の
体の構成物や、浴びる風と足をつく土の範囲、
そして死の砂時計をも 操ってきたのだろうな。
ちぇっ、と石を蹴りたい気持ちになる。
世の中は、マイノリティに塗装されている。
権力や立場、諸々のあるようでないものを
崇められる力によって神格化された
マイノリティ。
神輿を担がれ台座に座り
白い着物をまとえば、誰しもが そう 見る。
その台座でしか見えない世界があり
その秘密を語る言葉は世界となれる。
かの台座に座れたものは
運や縁や才能やタイミングや出自などの
神風を味方につけた、限られたごく一部の人間。
神格化された彼らは一様に
そこには天命があったと、神のシステムを語る。
システムはますます上座を祀る。
我々には、綿密に巧妙に編まれた頑丈なシステムを
打破できるはずもなく
その前に項垂れ、ただシステムを崇めていた。
そして命を落としてしまった。
悔やむべくは、
喉が渇いて走れないと泣いた子どもに
なぜ一杯の水を
与えてやる時間さえ自分になかったのか。
しがみつく子どもを固く抱いても
取り除いてやれない恐怖を与える
この音を塞いでやれないものなのか。
最愛の人の最期の叫びですら耳にとどかない場所を
なぜ わたしは 最期の地 に選んだのか。
**わたしは、自分のまま、自分の時間で
どうして生きてこなかったのか。 **
遠くまで抜けきったような暗い穴の中に
彼らは息を潜めているのだが、
その下には何ヶ月か前に風に運ばれ草となった
みどりの絨毯が広がっているのを、わたしは見た。
このコンクリートも、樹木も、何もない
この 野川が ただの川 であった頃
川は今よりも広く、今よりも豊富に水をたたえた。
そこに太古の民はくらしていた。
豊富な食物を運んだ川を生活の一部とし
雨による荒ぶりが生活を困窮させたとて
彼らは しおしおと 粛々と 再建を繰り返した。
いまよりも、恐れは 真に 畏れであり
喜びは 真に 与えられたものだった。
実りは 気まぐれに降り注がれ
死は 如何ともし難く 人をさらう。
生殺与奪を甘んじて受け入れ
ただその日の恵みを その日のうちに いただき
その日の悲しみを ただ悲しみとして 悲しんだ。
わたしはその日、野川に川遊びに行ったのだ。
息子とその友達と、身重の友人と。
台風一過の穏やかな気候のせいか
川の両岸には、エメラルドグリーンのからだに
漆黒の羽根をもつトンボたちが
妖しくも不規則に舞っていた。
見えない風に惑い、ただ羽根の動きの限り揺蕩う。
まるで黒の灯籠のように、どこまでも向こうまで。
つい水をかけてしまいそうになったわたしを
子どもは咎めた。
かみさまトンボだから、バチがあたるよ。
わたしは うん、そうだね と こたえた。
そうなんだよね。
ほんとに、きみは、大事なことをよく押さえている。
いつまでも、川が川であるのだから。
わたしも ただわたしであればいいのだろう。
そういうことなのだ、今日は。
どうかどうか、この地に重なるいくつもの想いを。
**どうかどうか、黒く美しい灯籠の灯す道を
流れのまま流れ
寛く優しい海の底にまで運ばれ
穏やかに健やかに眠れますように。 **
この川の流れが永劫でありますように。
川のように生きて生きますように。
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