Mother Mary comes to me
2週間前に足の靭帯を少し切ってしまった。
否応もなく、足の痛みに甘んじて引きこもることになった。諏訪旅行の目論見は泡となって消えた。なんてつまらない連休の連続。
ところがこの2週間、一日置きに来客があり、毎日誰かからの連絡を貰い、引きこもりのようで社交的な生活を送ることになったのだ。
中でも友人のNちゃんとは、子ども同士が仲が良いからか、はたまた子どもとわたしの感覚が近いのか、急速に距離が近づいた。
彼女のご実家は海の近くにあり、医者のお父様にデザイナーのお母様のお陰でとても裕福だったそうだ。幼少期から、ハイブランドを惜しみなく買い与えられた生活を聞くと、通りでどのような服でも着こなしてしまうセンスがあるのだと納得する。普通に立っているだけで、980円に0が1つ付くのだから、さすがとしか言えない。
彼女のことを四年前から知っていたが、ここ2週間で初めて知ったことがたくさんある。
たとえば、彼女のお母様が四年前に亡くなってからというもの、それまであった彼女の礎のようなお母様の叱咤や愛情を突如失うも、代わりに残された数々の美しい遺産を前に、途方にくれてしまったのだとか。
捨てるに捨てられないという想いは、その伏し目からも伺えた。もっと言えば、ずっとこの四年そうだったのだろうと、彼女の寄せる眉間のシワからも、その空気を感じた。合点がいく。だからいつもどこか困っていたのだ。
そんな彼女との最初の接点は、子どもだった。
彼女の子どもとうちの子どもは、特定の友人を作らない点がとても似ている。
なんらかのブームやタイミングという波にのって、誘われるまま出会うまま気の向くまま、誰とでも遊べる軽やかさがある。しかし、決して自分から声を掛けるタイプではない。そのくせに、いつの間にか周りには似たタイプの子どもが集まっていて、彼らは集団で1人遊びをしたり、たまに一緒になって走り回る。
何人かは途中で抜けるのに、また人数が揃う。出入り自由のフリースペースのような遊び方をする。
いたはずの場所から居なくなり、時計も持たないのに時間になると帰ってくる。
たまに知らない家の柿を、家人と約束して貰うという冒険をする。平成の東京の話なのか、昭和の静岡の話なのかわからない。昔の時代の親切な人が、彼の前にひょっこり現れるのだ。その人にわたしは会えないのに、彼は何度も出会う。いつのまにか何人もの友人にまことしやかに噂が広がる。親たちが嗅ぎつける前に、噂も柿を貰う子どもたちの列も、風のように立ち消えてしまった。
本当にその人生きてるの?と言いたくなるようなことが、何度もある。その時にも、彼女の子どもは必ず一緒にいる。あの2人は、そういうところが似ている。
似たような子どもを持つわたしたちだが、お互いの育ってきた境遇は全く違う。彼女は自身の過保護さに翻弄され、わたしは自身の放任さに呆れる。
それはまるで、わたしたちの話のようで、わたしたちの親たちの話のようだ。
会えばお互いの子育ての話をしながらも、わたしたちはわたしたちの話をしている。
アドバイスをするようなこともなく、ただ話を交換しあい、互いに心のメモに良い言葉を書き残して帰る。
話だけでなく、オカズやご飯を交換することもある。彼女のひじき煮や人参のマリネには驚愕した。これは本当にあそこのスーパーの野菜ですか?と尋ねたくなる代物だった。
一体、家でどんな魔術を使っているのか。
怪しんでいると、笑いながら普通の土鍋を見せてくれるのだが、なぜかそれさえも魔女の持ち物に見えるから不思議だ。
センスとはこのように日常に現れてしまうものなのか、と普通じゃないひじきを食べながら、唸る。親とはなんと大きな存在だろうか。
彼女は、わたしの持ってきたご飯を見て「小さな頃から料理する人なんだね。そういう料理だ」と呟いた。それを食べずに分かる人だから、わたしたちは仲良くなれたのだろう。さすが、と誰にともなく思った。
そんな彼女のお母様の命日が今日なのだそうだ。
うっかり、どの唐揚げ粉がいいんだっけ?と連絡した後に、SNSのタイムラインに一年前の彼女の記事が上がってきて知った。
おお、お母様。
大変素晴らしい娘さんが友人になってくれています。彼女はお母様の厳しさに甘え続けて生きてきてしまい、いま、1人で選択することが怖いのだそうです。他にも沢山、難しいことがあると嘆いています。お母様がいる時に、もっと独り立ちしておけばよかったと。
ですが、あのセンスはお母様の偉業であります。
日々という、さざれ石のような細かい鏡に、彼女のセンスは煌めいて映ります。そのきらめく、たわい無いはずの美しさに、わたしは癒され、尊みを感じます。そのセンスはあの子どもに継がれるでしょう。わたしの子どもも、いつかそれを知ることでしょう。
「親子ともにNちゃん親子と楽しい日々を送れています。ありがとう。お母様、グッジョブ!だね。」
そう伝えると「るんばの言葉、宝」と返ってきた。
今日は彼女の特別な日で、わたしのなんともステキな日なのだった。