結局、物語の力を信じたいのだろう。
秋の曇が 高い空から 吊るされている。
その模様を見ながら
湿度の低い 冷めた風を浴び、帰宅に向かう。
駅からは次々と
それぞれの表情と 服を纏う人が排出される。
物語は歩行する。
この自分の中にある解放された心地良さは
あの曇り空が創り出した物語なのだ。
会社員の頃、突然寂しくなった午後。
この今の心地良さですら、その物語の産物だ。
二元論のアルナシ世界の、
アル側で食べた林檎の味を
脚色しているにすぎない。
全て何もなかったら。
ここが幻ではない可能性などあるだろうか。
そんなことはない。
だけどその可能性があるのではと、
どこかで恐れてもいる。
二元論の世界の外で生きてる人に
いつか出会うことができるだろうか。
願わくば出会いたい。会いたい。話したい。
その人を好きになるのか試してみたい。
結局、全て起こした出来事によって
自分のテリトリーを
何度も触って確かめているのだろう。
心の底から、物語の力を信じているのだ。
人が好きなんだ。
それはわたしの物語で、
自分の何もが
誰も傷付ける意思がないことを
わたしは強く信じていて。
その物語が、どれほど自分を救うのか
試しているのだろう。
物語の力を信じたいがために、
疑って疑って疑い尽くしたい。
揺らがない、いっそ熱心な信者にでもなりたい。
そこに自分の求める何かがあるのだと思う。
そんな、秋の空。