2月43日
まだ2月が終わらない。
先月末より義家の件で慌ただしかった。連日、親戚などから聞くエピソードの数々に、わたしたちは唖然としたり涙ぐんだり、大笑いした。義父の本当の姿を映す手鏡によって、わたしの長年の疑問は解けた。わたしでさえそうなのだった。そんなのがしばらく続き、2月1週目の頃には、もう3月間近という気になっていた。
義父の葬儀の後から、すぐに日常は始まった。
家族は、朝には学校へ職場へと3方向へ散り散りとなっては、夜になると家へ集う。
何事も変わらない、ようにしか見えない1日たち。
でも、今までと同じアンテナでは生きようとしていない夫と、夫と私を気遣い続けた子どもの、微妙な揺らぎはひしひしと何かを変え続けていた。
わたしはご飯作りと掃除、洗濯。子どもに夜の長い読み聞かせと、たまの夫の肩揉みをして、日々がこの家族に馴染むよう、ただ生きている。
夫のアンテナが剥き出しになろうとしている。それは比喩であるが、顔つきは変わったように見える。人が価値観を変えていく様は、なぜああも静かで壮大なスケールを感じさせるのだろう。とても端的になどならない。いつからいつまでを切り取ればいいのかわからない。
五線譜の一番端にあったト音記号は、にじむようにひっそりと姿を変え続け、止まない。彼の変化に合わせ、音符の一つ一つが震え、自らの黒い腹の中で音を響かせた。孕むとは、女だけが所有する語句でなかったか。そう思った。
変調は遅々であるのに、もう彼が元には、戻らないことはわかった。この人はその意思をどこで得たのだろう。子どもの永久歯のように、元々あったものなのだろうか。
わたしが夫の変化を感じようとする様は、まだ羊水で濡れた子の表情を読み取ろうとする初産の女のようであったかもしれない。きっとこの2月は、目がいくつもあるカラダをして震えている。
あなたが産まれたときを知らない。
でもあなたが産まれ変わるときを見た。
それだけでもう、出来るだけ一緒に居たい理由なんて、わたしには充たされている。
ごはんを食べて寝て朝を迎え、夫をくだらない遊びに付き合わせ、取るに足らない言い争いをする2月。出来る限り震わせ、鳴らし響かせ合っていたい。2月はもう終わってくれてもいいのに。そんな気配はない。