やさしい警告。
1年半前に学校に絶望した子どもが、朝元気に登校するのが日常になりつつある。頭と心のお疲れが癒えてきたのだろうか。ようやく持ち前の好奇心が首をもたげ、彼は野球チームに入ろうか悩みだした。
そんな訳で、放課後のキャッチボールタイムは始まった。
下校中の高学年がふざける通学路に面した公園で、黄色いテニスボールを投げ合う。青い空も彼らの声も、何十年前と変わっていない。
小さいときにボール遊びはあまりしてこなかった。彼とも、わたし自身も。
キャッチできず遠くに転がるボールに悔しそうな顔をする子ども。気の短い彼に合わせて、出来るだけ取れそうなボールを投げる。少し上にずれても、キャッチされて驚いた。彼の方が上達が早い。
そういえば。とおもった。
君は、めっきりおかしなことを言わなくなったな。
「ぼくは生まれる前の名前があった」
それは去年の下校中に突然、何語かわからない言葉を復唱した後のセリフだ。あのとき、彼はまったく聞き取れないが同じ単語をとつぜん叫んだ。そして「これ、生まれる前の名前だよ」と。輝くような笑顔だった。平日の午後2時に母さんをどこにぶっ飛ばすつもり?内心の戸惑いを表に出さないように、平静を保つのに必死な下校タイムだった。
「生まれる前は近所のあの子と一緒だった」
彼のそれは、前触れがなく始まる。
風呂で髪のシャンプーを流しているときだっておかまいなしだ。
友達との今日の出来事かとおもって聞いていると、何かおかしい。泡だらけの頭の中にリフレインし、言葉にならない声がわたしの中に残った。
そこは、きみ。この世界のどこでもないのだが。
「ママが昔初めて死んだお墓にいこう」
夏休み中の家の中でも、彼はそんな風に容易くわたしを空彼方へ飛ばす。
「ねえどっかいこうか」への返答は、予測の斜め上高くを超えていった。
どこから突っ込んだらいいのかわからない。Suicaをつかんだまま、飛んだ球の方角をぼうっと眺める。せめて、舞浜の夢の国に行きたいと言ってくれないだろうか。
わたしの常識というフェンスの向こうには、彼のこんな場外ホームランがゴロゴロと転がっている。
それらは、彼の世界の深さを示した。
わたしはもう終わったはずの、あの7年前の感動の日々が、またやってきたような気がした。
◆
最初でおそらく最後の出産のときから、現実ばなれした時間は始まった。
初めての赤ちゃんとの日々は、それまでにない、たまらないエンターテイメントだった。
だって一秒ごとに吸収して、一秒ごとに成長したんだ。信じられないかもしれないけど。
彼のシナプスが日ごとに増えていき反応が変化するのを、目の前で見ていた。見ているだけで楽しかった。
反応がたのしくて、家では手作りのおもちゃで遊び、毎日外に出掛けた。葉の一枚でも遊べる姿に、わたしは震えた。
彼の描いた絵は自由帳からA4のコピー紙から、全て残っている。
わたしのピッチングマシンは止まらなかった。
幼稚園入園のときには、手作りのプリントを渡すようになった。
彼はどんな変化球でも受け止めた。それがたとえ、徐々にネジがズレたとしても。
脊髄反射の速度で、わたしの一挙手一投足を観察してきたのだ。8年も経てば、すでに無意識でも確実にわたしから三振を奪えてしまう。
ヘッポコ親も、今や8年選手だ。ああ、あのときは、ただ生きていることを楽しんでいた。そのままの成長を喜んでいたのに。
いつの間にか、眺める人から、求める人に変わっていたんだな。
あの豊かな世界から投げられた、君からのメッセージをを無視できない。君はどれほどの想像力を駆使して、わたしに思い出させてくれるのだろう。
ああなんて深くて豊かで穏やかな世界が広がっているんだ。
「お母さん。
この今を楽しむなんて、こんなに簡単なんだ。
あのときと、今は、何も変わらない」
そんなに優しい警告が、この世界にあっただなんて。
◆
わたしが君の親じゃなかったとしても、友達だったとしても、君の心がとても好きだとおもう。きっと8歳のわたしは、君を遠巻きで眺めながら、その一言一言によく耳をそばだてたろう。
あの豊かなエビソードを、最近は聞かなくなった。ここ数か月のわたしは、きっと何かが変わったのだろう。何かを変えられたのかもしれない。