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「公共」マネジメントの試行錯誤:日英米4つの歴史と、ポスト2021(9千字+)

前回の『日本のデジタル政策史70年をまとめてみた』に続き、歴史と未来をまとめてみたシリーズ第2弾。
公共の担い方、政府のあり方、課題はいっぱいあるけれど、英米日のこれまでの軌跡から学べることは大きい。
わかっているようでわからない、公共マネジメントの歴史を整理しつつ、日本のこれからについて、まとめてみたいと思います。

はじめに:おじいちゃんと「見守り隊」

図22

ちょうど今週、90歳(!)の誕生日を迎えた祖父の話を少し。

私の祖父は、岐阜市で40年間、小学校の先生をつとめていた。
今でもご近所さんには「先生」というニックネームで呼ばれ、町内会や老人会の役員を長年務めたこともあって、なかなか顔が広い。

祖父は退職後も、小学校の授業の農作業を手伝いに行ったり、町の歴史を編纂するボランティアをしたり、小中学生の登下校を家の前で見守る”見守り隊”をやったり。
こうした「地域の仕事」を普通に楽しくやっていたそうだ(そして80代半ば、完全隠居した)。

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📄授業の手伝い、歴史編纂、見守り。

これらはみんなに関係し、みんなにオープンな「公共のこと」なので政府がやってもおかしくない。役所に振り分けるなら、文科省や岐阜市役所、県警?

しかし予算制約がある中、優先順位の問題で、”見守り隊”に税金が投入されることはない。
政府が引き受けきれない「公共の空隙」を、祖父のような一市民が日常生活で担っていたりして、「公共イコール行政」みたいなイメージになりがちだけど、実際は全然違う。

政府、企業、NGO、地元市民などなど、社会全体の役割分担の中で「公共をいかにマネジメントするか」は、歴史上、長らく試行錯誤されてきた。

少子高齢化・財政赤字・政府不信という三つ巴の課題を抱えた日本のこれからを考えるにあたり、今までどんな道をきたのか、どんな反省を得たのか、歴史から学べることは多い。

DIY公共、政府公共

図23

そもそも、公共の問題は長らく「自分たちのことは自分たちで」というDIY精神がベースであった。

江戸時代、道の掃除は住人がやったし、道自体も「道普請」といって、地域に住む人たちが協力してつくっていた。

現代アメリカ社会でも、このDIY的精神はいまだ根強い。行政の基本はボトムアップ型で、日常的にこんなことが見られる。

■ 政府と市民が集まって議論するタウンホールが定期開催され、
■ 地元のNGOや教会やカフェが、ホームレスに食事を配ったり、
■ 住居・交通問題など、自治体よりスタートアップのほうが余程イケてる解決策を出している。

実際、私がアメリカに暮らしていると「政府は公共サービスに対して無力だよね」みたいな見方を感じる。
アメリカ人のDIY公共の裏には、あんまりイケてない政府を頼らず、個人やコミュニティでなんとかせねば、という感覚もあるのかもしれない。

図4

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逆に効率性を考えれば、全てDIYする必要もない。
近代には、同じ規格で大量の物事をさくさく進める大量生産方式は、国の統治システムにも取り入れられ、政府は「中央集権的な資源配分の装置」として洗練されていった。

こうした中で政府が「公共の問題」を一手に引き受ける、というモードが浸透していった。
DIY公共、政府による公共には一長一短がある。

✂️DIY公共✂️
長所: 協力のベースは、地縁や血縁のような人的コミュニティにあり、いろんなニーズを拾いながらきめ細やかに対処出来る。
短所: ウェットな人間関係が息苦しいし、もし自力で相互扶助関係をうまく築けないと大変(特に天涯孤独で家族がいないと、老後なんとかして助けてくれる人を探さなきゃいけない、とか)。
🏛政府公共🏛
長所: 政府が強制的に、社会連帯の仕組みを用意してくれるので、それにのっかればよい(友達が多かろうが独身だろうが、なんとかなる)。
短所: 画一的なサービスなので、手が届かないこと、無駄も多かったりする。自分の税金で、見知らぬ誰かを助けるのも癪だったりする。

管理する人、享受する人

図24

政府公共に期待が寄せられたのは、特に19世紀。
産業革命が進むにつれ、労働者の搾取や環境問題、都市問題などの社会問題が深刻になると、公共をシステマティックに担うものとして政府が生まれた。
「政府が引き受ける」領域が増えるにつれ、公共をめぐっては

🏛政府(公共の管理者)
🙍‍♀️市民(公共の受益者)

の立場に二分され、市民は「公共の担い手」から「税金を払うお客さん」化してきた。
足りないことは政府に注文する。概して注文はちゃんとこなされなかったりして、文句を言いつつ我慢する、みたいな状況が固定化された。

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こうして以下の二層構造のもと、公共マネジメントをめぐる議論は、①行政と②私の間のどこに境界線を設定するか、が一大テーマとなった。

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政府は、安全な暮らしの最低限を「権利」として保証する(Cf. ナショナルミニマム)。
政府の手が届かないところは、それぞれが自己責任でなんとかする。
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※注意したいのが、政府の予算制約上、②に整理されたとしても、質的には「公共的な価値」はたくさんあるという点だ。例えば祖父の見守り隊の場合も、政府が手当てしているわけではないが、「公共」には違いない。

この観点で、戦後の社会システムを以下の4つに大別して整理してみる。

図1

【A】大きな政府(1960-70年代)
黄金時代の歴史とロールズの支え

図25

WW2後、政府が市民のニーズを細分化し隅々まで行き届くように、という方向性が世界中で志向された。
70年代前半まで続く「大きな政府」である。
そのコンセプトは、現実の政策には社会保障制度の充実(福祉国家)に代表される。

✏️英国では「ゆりかごから墓場まで」の手厚い社会保険システムができ、米国はジョンソン政権('63-69)が「偉大な社会」のスローガンのもと貧困撲滅と公民権運動にあたり、日本政府も児童手当支給や老人医療費の無料化などをすすめた。

この背景には、世界の成長と安定の時代がある。
アメリカは50年代以降「黄金時代」とされ、続いて日本も60年代に入ると高度経済成長を享受しはじめた。

要は、政府には「大きく」いられるだけの税収があり、行政が公共を引き受ける構図を、社会に違和感なく受け入れられたのである。
財政赤字はまだ問題化されず、市民も大きくなっていく政府に、ある意味寛容な態度をとれたのかもしれない。

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🔥60年代には、ベトナム戦争に対する反戦運動に端を発し、世界中で市民運動が起こった。
これに端を発して、黒人の公民権運動や、ラディカルフェミニズム、カウンターカルチャーなどが拡大し「社会における個人の多様性」がこれまでになく注目された時代となったのである。

これは世界にとって、大きな節目となった。

17世紀以降の近代化のプロセスでは、まず「最大多数の最大幸福(功利主義)」が、公共マネジメントの原則とされていた。
経済が未熟なうちは、個人の多様性はそっちのけで、まず初歩的でジェネラルな公共、社会全体のハピネスが優先されたわけだ。

しかし社会が発展する中で、もっときめこまかい「公共」に手を広げる余裕ができてきた。
そんな中、60年代の市民運動をきっかけに、今まで後回しにされてきた個人の多様性、多様なニーズにスポットが当たり、これを包摂した形で公共の定義が拡大したのだ。

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70年代には大きな政府を思想的に裏付ける政治哲学(リベラリズム)も確立された。
ロールズによる『正義論』(1971)である。

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簡単に言えばロールズは、こんなことを唱えた。

1.個人の存在は多様それぞれ異なる「好きな生き方」のコンセプトを持っている。
2.個人が自分自身のコンセプト追求できるようにすることが大事だ。
👉従って政府は人々から強制的に税金を集め、そのお金で個人の自由を担保するべき。

リベラリズムのポイントは「個人の自由と平等の両立」を目指すものであった点だ。

なぜか?
個人の多様性を担保するために、個人から取り立てた税金に基づく政府公共を増やすというのは、自己矛盾をはらんでいる。

図4

ロールズ哲学は、「個人が自由を発揮するために、どこまでの資源再配分が正当化されるか」というルールをプラクティカルに精緻化することで、大きな政府の妥当性を裏支えした。

---大きな政府が迎えた困難---

☔️大きな政府は、政策的にも、社会情勢的にも、思想的にも支えられた。しかし70年代中盤になると、世界は大きく変化していく。

1973年の石油ショックを機に、世界の安定と成長の時代は終わってしまった。
経済停滞で税収が落ち込み、財政が逼迫すると「政府が公共なんでも引き受けます」とは実際問題行かなくなるし、お客さん(市民)の目も厳しくなっていく。

日本の高度経済成長は終わり、英国では社会保障負担の増加・国民の勤労意欲減退などの「イギリス病」がはびこり、米国では、ウォーターゲート事件(1972年)で政府への信頼は急落。

こうして大きな政府の限界が明らかになる中、世間の支持を得たのが「小さな政府」である。

【B】小さな政府(1980年代)
市場の力を信じ、公共を守る

図26

1981年にアメリカ大統領に就任したレーガンは、こんなことを言っていた。

"Government is not the solution to our problem, government is the problem."
「政府は問題の解決策ではない、
政府こそが問題なのだ。」

図5

「政府公共」では、政府が独占的かつ強制的に、市民に課税し政策を実施する。
このプロセスで行政機構は膨れ上がっていく。

「個人の自由とか多様性とか言うくせに、結局、私達は政府公共に無理やり従事させられてるだけじゃん!」という大きな政府・リベラリズム批判が席巻するようになった。

その理論的基礎となったのは、ハイエクやブキャナンなど、政府の能力の限界を説き、個人の自由に最も重きを置いたリバタリアン(新自由主義)である。主に経済学者が論客をはった。

ハイエク👨 「政府の唯一の役割は、個人の自立分散を最大化するルール設計だ。政府には政策判断に必要な情報も、それを計算して最適値を導く能力もない。」
ブキャナン👨「必要な公共投資はただ一つ。個人間の取引を促進するものだけだ。(公共選択論)」

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「公共」を政府に頼らないとすると、その受け皿は、民間ビジネスに向いた。

現実の政治でサッチャリズム、レーガノミクス、中曽根行革に代表されるように、従来「公共」とされた分野に市場原理を取り入れ、民間の経営モデルで効率化する政策がとられた。
(ちなみにハイエクの代表作『隷従への道』は、サッチャー首相のバイブルだったと言われる)

ダウンロード (2)

✏️各国で規制の撤廃、減税、民営化が進み、「行政」と「私」の間の境界線は大きく引き直された。行政に残った範疇でも、アウトプットを測定するパフォーマンスコントロールが取り入れられたり、コスト削減「行政改革」が行われた。

政府が公共から退却する、即ち「リスクは自分で負うべき」という自己責任論は、政府が責任を逃れているだけだ!と批判される恐れもある。
実際、現代の日本で菅政権が「自助・共助・公助」を打ち出したときに出た批判がそれだ。

しかし、このときは「増税なき財政再建」という掛け声のもと、肥大化した政府部門を改革する、というナラティブで人々に受け入れられた。
現代とこの時代とでは、少し雰囲気が違ったかもしれない。
このあとの困難を経験する前の人々はまだピュアで、小さな政府には期待がよせられていたのだ。

図4

---小さな政府が迎えた困難---

☔️大きな政府の反省を踏まえて生まれた小さな政府」であったが、これも進めるうちに難しさがわかってきた。

市場論理で公共マネジメントの一部は効率化されたが、市場論理を越えられない「公共的なこと」は手当されない事態が次第に明らかになった。
「公共」は、みんなに関係するオープンなことであるがゆえに、必要なコストを回収するのが難しかったりする。

💰 フリーライダーが発生しがち
ex. 見守り隊の場合:わざわざ自分ではやらないけど、誰かがやってくれたら嬉しい。
それならタダ乗りしちゃいたいなあ。
🤐 直接裨益しない(けどコミュニティを通じて間接的に裨益する)人も多い
ex. 身守り隊の場合:子供がいない人には直接関係ないけど、おじいさんが朝夕道端に立つので、地域の治安が向上/地価が上昇するなど、間接的に利益がある。
あくまで間接的なので、タダ乗りしたいなあ。

これゆえに「公共」は、政府が税金を投入し、コスト構造を上げ底することで成立していた領域は、たくさんあった。
よって政府がただ手放すだけで、基本条件が変わらなければ、市場の効率性を以てしてもコスト過多で成り立たない領域も多いのだ。

これらの問題は、80年代後半に失業率の上昇、経済格差の拡大などに現れ、
小さな政府の旗印だったサッチャー政権は倒れてしまった。
ここまでの困難を突破しようとした試みが、次の「第三の道」である。

【C】第三の道(1990-2000年代)
二元論からのパラダイムシフト

図27

80年代以降、社会にとっての一大テーマ。
「財政制約が厳しくなる一方、多様化する「公共」のニーズに応えるにはどうしたらよいか?」

90年年代にはいると、従来の大きな政府/小さな政府の二元論を超えようとする動きがあった。
「マーケットの効率性をいかしつつ、機会の平等の観点から、公正性を国家が補完する」という折衷主義的な方針として、英国ブレア首相(1997~2007)が「第三の道」を提唱した。

図5

✏️ブレア首相は他にも、前近代的な貴族院の改革(世襲議席数を制限)、最高裁判所の権能の独立化やクール・ブリタニア戦略を通じ、新しい風を起こしており期待も高かった。

これまで「政府が引き受ける公共」の領域を伸縮させてきたわけでが、その枠組みの中でも

🏛 政府が「公共」の管理者
🙍‍♀‍ 市民が「公共」の受け手、お客さん

という整理は続いていた。
(祖父の見守り隊のように、現実世界ではそんなことはないけど、そういう構造とされてきた)

「第三の道」では、この構造にパラダイムシフトが起こした。
政府が公共を直接管理するのではなく、市民の社会参加をサポートして、市民が公共をマネジメントできるようにしていこう、という発想に動いたのだ。

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これにあわせて政策も転換する。
イギリス(ブレア政権)やアメリカ(クリントン政権)の福祉改革では「依存型から自立型へ」をテーマとした就労支援、公立高校の改革などが進められた。
伝統的な「結果の平等」ではなく、「機会の平等」をサポートすることで、多様な個人をエンパワーするものだ。

日本では橋本政権が、市民の公共参加を制度的に担保するための改革が次々と行われた。

☘️地方分権(機関委任事務の廃止など、自治体に権限を委譲した)
⚖️裁判員制度スタート(市民から選ばれた裁判員が審理に参加する仕組みへ)
🗃小選挙区制スタート(二大政党制のもと、市民が選挙を通じ政権選択できるようにした)
🔥火だるま行革            etc...

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社会の動きとしても、2000年以降、非政府主体(NPO、NGO)も急激に数を伸ばし、”市民社会”や”シビックエンゲージメント”といったコンセプトは、世の中一般にも広く浸透していった。

図4

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こうして行政と私の間の境界線が曖昧化していく中で、これが進化して、次のBig Societyと自助・共助の時代が来る。

【D】大きな社会と自助共助(2010-20年)
前時代の反省を越えて

図28

歴史を重ねてきて、私たちが社会が学んだことがいくつかあった。

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🙅‍♀‍大きな政府は、ちょっと厳しい
■ 財政赤字が深刻になる中、政府が全てを引き受けるのは無理。組織ばかり肥大化するし。
■ 効率性重視で、画一的サービス。多様なニーズにきめ細かい対応は無理。

🙅‍♂‍小さな政府も、ちょっと厳しい
■ 「公共」の提供基準がカネの論理になり、もうかる領域だけが生き残る。
■ 稀少なサービスほど高額になり、「公共」を享受できない人も出てくる。
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この二元論に風穴を開けた「第三の道」をアップデートしたのが、英国キャメロン首相(2010-16)が打ち出したコンセプト「大きな社会(ビッグソサエティ)」だ

”Build the Big Society, Not Big Government”
(大きな政府ではなく、大きな社会を作ろう)

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基本コンセプトは、公共をボランタリーな人々の社会連帯で担えるように、政府の手から地域コミュニティの手に力を移そう、というもの。

政府の役割は、公共を直接引き受けるのではなく、市民をエンパワーするための環境整備だと意義づけられ、キャメロン政権はこんな取り組みを進めた。

■ 慈善団体や協同組合などが、公共サービスを提供できるようにした
■ 休眠口座の資金を社会起業家が活用できるようにした
■ 行政情報を公開し、政府のオープン化と透明化を進めた。

また日本では、働き方改革の一環で、2017年に兼業・副業が解禁。
公務員も社会貢献活動であれば副業がOKとなり、市民が自分の時間やおカネの一部を使って社会に参加する、という環境づくりに少しずつスポットがあたり始めた。

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さらに同時期、行政だけでなく民間でも「ゆるやかな社会連帯」を後押しする基盤の整備が活発になっていた。
たとえば日本では、READYFOR(2011)やCAMPFIRE(2011)、マクアケ(2013)などのクラウドファンディングサービスが立ち上げられ、市場規模は急増。

図2

また2013年には、デジタル技術を活用して地域の課題解決をめざすNPO「Code for Japan」が設立された。
"ともに考え、ともに作る"をコンセプトに、各地域の「Code for ○○」とともに、IT人材と住民が一緒になって公共の課題に取り組んでいる

「・・・Code for Kanazawa では、政府にリーチされていない身の回りの課題を、子育て中の母親など当事者が見つけ、ボランティアのエンジニアが参加し、住民自身で解決しようという活動がなされている。例えば『5374(ゴミナシ).jp』は、地域住民のニーズから生まれた、いつどのごみが収集されているかわかるアプリだ。・・・
・・・こうした活動は、デジタル技術の発達によってより容易になってきた。これまでは、『興味はあるが、毎週特定の曜日に集まるのは難しい』と、子育てに多忙な母親にはハ ードルが高かった活動でも、オンライン会議なら手伝えるなど、参加コストがどんどん下がっている・・・」
(『21世紀の「公共」の設計図』経産省より)

上述のとおりデジタル技術によって、市民が「ちょっとした時間やお金を、社会課題の解決に軽くあてる」ということがやりやすくなってきた。
その昔、地縁などのウェットな人間関係の中の社会連携より、誰もがはるかにライトに気楽に、「公共」に関われるようになった。

またこうした中で、「見守り隊」のように、従来政府がリーチできていなかった公共の領域にも担い手が生まれたことも、重要な変化だった。

--大きな社会・自助共助が迎えた困難--

しかしこうした方向性について、政府そのものに対する社会の目は冷ややかで、当時のイギリスではこんな批判が噴出した。

・こんなのコストカットを正当化するための口実じゃん!
・政府は責任を放棄して、個人に寄せてるだけ
・社会貢献なんて、金持ちしかできないよ…

”大きな社会”で最も重要になる、市民による社会連帯は、すぐに成熟するものではない。
キャメロン首相自身も「これはある程度時間がかかる取組だ、一期では足らず二期分必要かもしれない」と最初から認識していたが、この批判に耐えきれず、政権は終わってしまった。

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この流れをふまえて今日の日本に目を向けると、「自助・共助・公助」を掲げた菅政権への批判もあてはまるだろう。

今日の政府の役割は、単にセーフティネットを確保するだけでなく、市民がライトに社会参加しやすくする環境整備にある。
後者をせずにただ公共から退却するのは、それこそただの責任放棄になってしまう。それが、歴史から得られた学びのはずだ。

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特に2020年以降のコロナ禍で、日本政府がうまく機能しない中で、「自助・共助」という美しいワーディングで、個人に責任を寄せてるだけじゃん、税金払ってなんの意味があるの?と思った人も多かったのではないだろうか。

小さな政府にトライした時代は、「増税なき財政再建」が社会に受け止めらた。

しかし、政府を小さくしてみたところで一向に減らない財政赤字、社会問題、政官スキャンダルを経験してきた市民の受け止めは、今やシニカルになっている。
この懐疑的な眼差しを超えて、ゆるやかな社会連帯に行きつくのは簡単なことではない。

まとめと、DIY公共バージョン2.0

図17

ここまで、公共マネジメントをテーマに、以下の4つの流れを見てきた。

図1

こうした様々な試行錯誤と反省を踏まえて、今後の公共マネジメントの道筋として世界が辿り着いた方向性がこの二つ。

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✂️DIY公共バージョン2.0✂️
☑ 市民によるライトでゆるやかな社会連帯
で、公共を担う
☑ 政府は、市民が公共に簡単に気軽に参加できるような環境整備を担う
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これらの方向性は英米だけでなく、少子高齢化や財政赤字、政府不信など、制約がかつてないほど厳しい日本にとっても、重要な方向性であるはずだ。

ただし世界は、DIY公共バージョン2.0にトライしてきたものの、なかなか実が成らずの繰り返しを経験してきた(キャメロン首相の「一期目で終わらないだろう」どころか、三十年が経った)。
これを浸透させるには、様々な制度やインフラ整備が必要だし、これに伴う社会気運や文化の醸成には、まだこれから時間がかかる。

*****

ただし、この30年には少しずつ進歩があったことも事実だ。

🥾 働き方が多様になってきた(市民組織、兼業副業やフリーランスなど)
💰 社会参加のやり方の選択肢が広がった(クラウドファンディング/ソーシング、寄付や投資が簡単に)
📲 テクノロジーのおかげでハードルが下がった(ライトに社会参加しやすいインフラを提供)

これに対して、政府の新しい役割(ライトかに公共を担える制度・インフラづくり)としての、法制度や公共インフラのアップデートが追い付いていない気もする。

コレクティブインテリジェンス(集団知)やアジャイルガバナンスなど、世界の政治・行政の世界でもコンセプトは取り沙汰されているが、具体的な政策はこれからだ。

図2

2020年は、コロナ禍で「政府公共」に俄かにスポットがあたった年になった。
2021年は、未来を見据えた政策として「DIY公共2.0」に向けて政府が果たすべき役割に本腰を入れるべきだ。

過去、公共マネジメントのアップデートは、
■ 米国ではレーガンやクリントン、
■ 英国ではサッチャー、ブレア、キャメロン、
■ 日本では中曽根、橋本、小泉、

などの政治リーダーのもと、政権の最重要アジェンダとして進められてきたことは、これまで見てきたとおりだ。

対して今の日本の政府から、我々市民はどんなメッセージを受け取ることができるのだろうか。
コロナ禍がひと段落して、秋の選挙に臨むにあたり、次の政権にはしっかりとしたメッセージを期待したい。

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長くなってしまいましたが、歴史のまとめはこれくらいにしておきます。ここまで読んでいただいた方、どうもありがとうございました。

デジタル時代の政府のあり方については、以下の記事でまとめているので、もしよかったら覗いてみてください。

参考文献・図の引用元(順不同)

図17

◆”公共”と私たちを考える
・『公共性(思考のフロンティア)』斎藤純一(岩波書店)
・『コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる』山崎 亮(中公新書)
・『NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方』若林 恵(日本経済新聞出版)
◆”公正”とは何だろうか
・『正義とは何か 現代政治哲学の6つの視点』神島裕子(中央公論新社)
・『不平等の再検討 ―潜在能力と自由』アマルティア・セン(岩波書店)
『Justice: What's the Right Thing to Do?』マイケル・サンデル(Straus and Giroux)
・『トクヴィル 平等と不平等の理論家』宇野 重規(講談社学術文庫)
・『集中講義! アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険』仲正昌樹(NHK出版)
原典にあたる
『A Theory of Justice』ジョン・ロールズ(Belknap)
・『社会契約論/ジュネーヴ草稿』ルソー(光文社古典新訳文庫)
『リヴァイアサン1』ホッブス(光文社古典新訳文庫)
◆政治構造の変遷をたどる
・『日本の統治構造 官僚内閣制から議院内閣制』飯尾 潤(中央公論新社)
・『平成デモクラシー史』清水 真人(ちくま新書)
・『GOVERNANCE INNOVATION: Society5.0の実現に向けた法とアーキテクチャのリ・デザイン』(経済産業省)
・『21世紀の公共の設計図 小さくて大きいガバメントのつくりかた』(経済産業省)
・『英国政府が推進する「大きな社会」構想の危機? 』CLAIRロンドン事務所
・『菅首相の理念「自助、共助、公助」は早くも崩壊?』週刊現代
・その他、Wikipedia各項目
・別サイトから参照した画像は、画像をクリックするとURLに飛びます

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