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歌詞の世界観と商品名
「緑の中を走り抜けてく真紅なポルシェ」
クリスマス・シーズンが近づくと、なぜか頭の中にこのフレーズが浮かぶ。
緑×真紅というカラー・イメージのせいなのか、
ポルシェの疾走感が、この季節の慌しさにマッチするのか、
自分でも明確な理由はわからない。
しかし「真紅(まっか)なポルシェ」というアイコンの圧倒的な存在感が、
この「プレイバックPART2」という名曲の世界観を、見事にグリップしている事は間違いないだろう。
ここは、絶対に街の喧騒の中でも、際立って目を引く鮮やかな「赤」でなければならないし、それは他のどの車でもなく「ポルシェ」でなければならない。
しかしこの曲がヒットした当時、残念ながら某国営放送局の判断では、その唯一無二の「アイコン」の力を理解出来ず、「まっかな車」と歌詞を変更させたということらしい。
記憶にあるところでは、「二十四色(にじゅうよいろ)のクレパス」という歌詞を、「クレヨン」に変更する様に要求され、出演を辞退したグループもあったようだ。
その後の「クレヨンしんちゃん」の登場を待つまでもなく、
「神田川」の世界観に「クレヨン」という音の響きは、なんとも間抜けな感じがして、やはり「クレパス」の乾いた破裂音が必要だった様に思う。
さて、今年の某国営放送局の年末国民的歌番組にも、特定の商品名が歌詞の中に盛り込まれた曲が登場する予定で、今回は「商品名」がそのまま認められたと聞いた。しかし認められた理由は判然としない。
個人的な意見を言えば、「真紅なポルシェ」や「二十四色のクレパス」と、今回のフレグランスの商品名を同列に議論することに、違和感を感じる。
特別な一年となったこの年の、代表的なヒット曲を批判している訳ではない。
しかし、明確な根拠を示すことは出来ないが、歌詞の世界観に不可欠な唯一無二のアイコン(記号)ということで言えば、ちょっと違う気がする。
その「ちょっと違う」という差異を言葉や数値で明確に示せ!と言われても説明することは難しい。
むしろ数値的差異ということなら、単なるジェネレーション・ギャップの問題かも知れない。
音楽の歌詞以外でも、商品やブランド名が作品の世界観を象徴するアイコンになっているケースは枚挙に暇がない。
小説や映画なら「ティファニーで朝食を」「プラダを着た悪魔」など。
「プラダを着た悪魔」が小説として発表されたのは2003年。映画化は2006年。「ティファニーで朝食を」は小説が1958年。映画化は1961年。当時、宝石店ティファニーで、食事を提供するサービースは無かったが、のちに映画の影響を受けてダイニング・スペースをオープンしたという話もある。
オードリー・ヘップバーン×ティファニー。
メリル・ストリープ×プラダ。
こうしたアイコンの成功例の金字塔と、勝手に思っている。おそらく50年、100年経っても、ブランドと作品の持つ世界観は色褪せないのではないだろうか。
「歌は世につれ、世は歌につれ」というが、作品はのこる。
時代の風雪にもまれても消えない世界観とは何か。
かつての彼女の香りに、ふと思い出が蘇る切ない感情を、阿木燿子さんや、喜多條忠さんなら、どんな表現をするのだろうか。