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[理系による「映画」考察] 民衆の敵(1931) ➡演技がうますぎる脇役による弊害
"民衆の敵"は主役はジェームズ・キャグニーです。
が、もう一人、主役を張れる役者がいます。ベリル・マーサーです。"七日間の休暇"では、ゲイリー・クーパーが主役ということになっていますが、実質的にはベリル・マーサーが主役であり、素晴らしい演技力です。
が、"民衆の敵"ではそのすばらしい演技力が残念ながらノイズになっています。"民衆の敵"はジェームズ・キャグニーのキャラが立てばよい映画であり、その他の役者は下手では駄目ですが、うますぎるとジェームズ・キャグニーのキャラのノイズになってしまいます。よって、当たり障りのない演技をする役者がちょうどよいのですが、"七日間の休暇"を見てしまった自分は、ベリル・マーサーの演技が気になりすぎて、そちらに少し注意を取られてしまいました。
映画や舞台は実はチームプレイであり、サッカーと同じように皆が目立つフォワードとして立ち振る舞うと、劇としては崩壊します。基本的には主役が目立つように脇役は意識する必要があり、脇役が自身のキャラを前面に出すのはNGです。
が、役者さんは自身の身体を使って表現することを渇望している人種のはずなので、劇で自身が終始目立たないのは許容できないはずです。そこで、監督が脇役でも前面に出れる場面を作ります。よって、監督が準備した特定の場面にて自己を前面に出し、その他の場面ではスイッチをオフして、主役が引き立つような演技をするのが、賢い役者さんであり、実はそういう役者さんのほうが重宝がられ、長くその業界でお仕事ができるのです。
ベリル・マーサーをwikiで調べてみると、1930年代の映画に物凄く出てきて、上記の賢い役者さんだったと思われます。実際、"奇蹟の処女(1931)"では、いい感じでスイッチをオフしています。
よって、"民衆の敵"では、監督の演出が悪かったか、自身が"七日間の休暇"に引きずられたか、のどちらかだと思われます。
この項のメッセージとしては、そのぐらい"七日間の休暇"のベリル・マーサーが素晴らしかった、になります。