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[理系による「映画」考察] 首(2023) ➡死も衆道もお笑いにする北野武

北野初期作品のようなアート性はあまりないですが、2時間があっという間に過ぎたお笑いエンターテインメント映画でした。

全体的に絵がちょっと安っぽかったのが残念でしたが、脚本はとっても良かったので、その内容を中心に考察しますね。

まず、表題の"お笑い"に関して説明する必要があり、記載します。
人が笑う状況の1つとして分かりやすいのが、緊張と緩和、になります。もう少し具体的に説明すると、緊張状態において急激な緩和が起こると人は笑います。例えば、とても重い空気の会議の場で偉い人が突然ボケると笑いが起きる経験は、皆さまもあるのではないでしょうか(スベることもありますが)。

で、人間が最も緊張するのは死を身近に感じる時であり、この脚本では、その極限状態を戦国時代の背景を基に作り出し、その中でたけし風のボケで急激な緩和を起こし、笑いを取る構成になっています。

"座頭市"も同じように笑い取る構成をしていますが、"首"では死に携わる人数が全く異なるため、その分緊張も強くなり、ボケがハマった時の笑いは大きく、北野武は、極限の緊張からの急激な緩和、をやってみたかったのだと思います。

次に、"衆道"です。
このご時世ではほぼほぼタブーですが、歴史的には実はギリシャ時代からあるものです。
自身としては衆道を、
・心の底から崇拝しており命を捧げてもよいと思っている男性の寵愛を一身に集めたい、な願望
・その思いに応えてその男性を教育し成長させてやりたい、な願望
が合わさったもの
と解釈しています。
どちらにしても異形の愛なので、その分寵愛が自身から他人に移った場合の嫉妬は凄まじく、その感情に駆られた人間の状況は上記の死を前にした緊張状態と同じ、もしくはそれ以上のものであり、そこからの緩和も試みています。

というわけで、"首"は、人間を精神的・感情的極限状態に置き、そこから急激な緩和を行うことで笑いを取るエンターテインメント、を試みた作品、と解釈しました。

よって、この映画はげらげら笑うべき映画なのですが、今までのような北野作品を期待している観客からは恐らく理解されず、かつ、どう鑑賞すればよいか分からない、となり、評判はイマイチになるかもしれません。

ただ、何となくこの映画は日本ではなく海外の方が受ける気がしています。というのも、意図的にベタ(ひねりが少ないという意味)に作ってある気がしており、よって日本人の自分からすると絵が安っぽく見えたのではないかと感じています。ただし、ベタは文化的背景のない方でも分かりやすく、また、日本人による独特な衆道描写は外国の方には新鮮に映る可能性が高く、つまり、北野武は初めらから海外での評価を意識して作っている気がしており、これから見られる方は、自身が外国人であればどうこの映画を見るだろう?、を意識しながら、お笑い映画として見ると、楽しみやすいと思います。

最後に、北野武がジャニーズ問題が明るみに出る前に衆道表現を思いついたのか、後なのかは分かりませんが、
・前であれば、相変わらず時代を読み取る感度高すぎ…
・後であれば、相変わらず際どい笑いを取る姿勢を維持しすぎ…
と、死も炎上案件をもお笑いにしようとする76歳の北野武/ビートたけしをとても見直す結果になりました。


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