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[理系による「映画」考察] 東への道(1920) ➡映像表現における、意図的な雑音付加による皮肉暗示へのチャレンジ
"散り行く花"に続き、いや~、実に素晴らし~。
あらすじや見どころ(特に氷上での逸話)はさんざん語られつくされていると思うので、以下、いつも通り少し異なった視点での考察と、かなり細かいところを拾っていきます。
まず、
"東への道"は、"散り行く花"と比べ、明らかに斜に構えることを気付かせる道化というノイズが意図的に入っています。
意味が推測できるものとできないものがあるのですが、自身が気付いたものを挙げていきます。
風変わりな叔母➡社交界への皮肉
バーレット郵便局の襲撃と寝てる人々➡よくわからない
法の番人 ルーブ・ウィップル警官➡一夫一妻制が法として機能していない暗示
気性が激しい馬 ナポレオン➡よくわからない
ストーカーのセス・ホルコム➡未熟な男性の一部の象徴と一途な恋による一夫一妻制の実現と皮肉
警官とストーカーの喧嘩と両成敗➡法では制御できないことの暗示?
映画に厚みを持たせるため喜劇を入れ、笑いを取りたかっただけかもしれませんが、無意味なことをする監督とも思えないので、なにがしら新しいチャレンジとしての試みな気がしてならないのです。
違和感を意図的に混入させることにより美しさを際立たせる意図かなとも思ったのですが、どうもしっくりこなくて、世間と自分自身に対する皮肉としか思えないんですよね(短編集でもよく皮肉的なものを描いているし)。映画内にこっそり皮肉を暗示する作品はよくありますが、実はその先駆けなのかもしれませんね。
次に、
かなり細かいですが、1時間17分ごろに、マーサの靴下がクローズアップされた画が出てきます。何故わざわざ靴下をクローズアップした理由がよく分からず、見返してみたのですが、
33分:アンナの足のクローズアップ➡女性の魅力の象徴
1時間13分:ケイトの足を見るセス・ホルコムと、それに驚き、水をかけるマーサ➡嫉妬
1時間17分:上記に対するマーサからセス・ホルコムへのアピール
となっていました。
と、まあ本筋から考えると要らないような描写だったのですが、これは単に喜劇を入れて笑いを取りたかったからではと思います。"笑い"があると、不条理が続く物語でもリラックスしてみることができますしね。
最後に、
國民の創生、イントレランス、散り行く花、東への道、
と、1920年までに、ある意味映像表現としては極まっているように思え、今後、映画考察が書けるかな…、と若干心配でいます…。