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映画

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[映画]記事を年代順にまとめたもの
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#日本映画

[OldCityBoy的「映画」考察] 宮本武蔵(1954) ➡漫画"バガボンド"を映像化したような映画(当然、順序は逆ですが)

1954年のアカデミー賞(名誉賞)を受賞したとのことで、見てみました。 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00ZZ0OBKA/ref=atv_hm_hom_c_TEdR0r_2_2 あの"バガボンド"を映像化したような映画でしたが、当然順序は逆で、この映画を井上雄彦さんが漫画化した、と言う方が正しい表現です。 漫画を映画化する(そしてがっかり)、 はよくありますが、 映画を漫画化する、 は自身は聞いたことがなく、そんな意

[理系による「映画」考察] 地獄門(1953) ➡人間が生きることは、それほど浮世(憂き世)ですかね...

第7回カンヌ国際映画祭で最高賞であるグランプリ、第27回アカデミー賞で名誉賞と衣裳デザイン賞を受賞した作品です。 シェイクスピアの悲劇っぽい、 あ~あ、なんでこうなちゃうんだろう… な、誰も幸せにならない作品です。 が、世界で賞を取っているだけあり、演出はとても分かりやすく、とても楽しめる作品です。 また、主演女優の"京 マチ子"の現世を離れる覚悟が決まった時の演技も、なんとも幽玄で、"能"を感じ、とても良かったです。 が、ロダンの"地獄の門"に関する考察を書いた直後

[理系による「映画」考察] 首(2023) ➡死も衆道もお笑いにする北野武

北野初期作品のようなアート性はあまりないですが、2時間があっという間に過ぎたお笑いエンターテインメント映画でした。 全体的に絵がちょっと安っぽかったのが残念でしたが、脚本はとっても良かったので、その内容を中心に考察しますね。 まず、表題の"お笑い"に関して説明する必要があり、記載します。 人が笑う状況の1つとして分かりやすいのが、緊張と緩和、になります。もう少し具体的に説明すると、緊張状態において急激な緩和が起こると人は笑います。例えば、とても重い空気の会議の場で偉い人が

[理系による「映画」考察] ゴジラ-1.0(2023) ➡"シン・ゴジラ"の後ゴジラを作ったことに賛辞を贈る

冒頭からカッコよく、2時間があっという間に過ぎる、とても見やすい映画でしたよ。 で、自身が賞賛したいのは、映画の内容よりも、"シン・ゴジラ"の後にゴジラを映画として作った山崎貴監督の勇気、になります。 "シン・ゴジラ"と比較されるのはもう明白で、庵野監督と比較されると思うと自身だったら絶対にやりたくないです…。それでもやり切った山崎貴監督に賛辞を贈りたいのですが、さらに、ヒットさせるために庵野さんに試写会でみてもらって、その後の対談をyoutubeで流すということまでやり

[理系による「映画」考察] 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語(2013) ➡女の情念系映画、ここに極まる!!!

この映画は凄いです!!! "女"というものを描いた作品としては、"黒蘭の女"は優に超え、"風と共に去りぬ"級の世界的な名作として歴史に名を刻んでもよい!と思うのですが、悔しいかな、アニメ教養がある人以外ではいまいち理解されないでしょう…。かつ、男性には異常に評価されると思いますが、女性にはそれほど評価されない気がしています(この点で"風と共に去りぬ"は超えない)。 具体的に何が凄いかというと、男なしで女の情念を描き切った!、ところなのですが順序立てて説明します。 魔法少

[理系による「映画」考察] 羅生門(1950) ➡キュビズムで映画を作り上げる芸術家、黒澤明

黒澤明が世界的に評価された初めての映画です。 で、黒澤明の映画を見て思うのですが、黒澤明は、 ・技術進化により演劇を映像表現にする な位置付けで映画を作っている気がせず、 ・絵画を映像表現に落とし込む な意図で映画を撮っている気がするのですよね。 なぜなら、黒澤映画をどのタイミングで一時停止しても、 あ、黒澤明だ! と分かってしまう絵になってるんですよね。 で、本題の"羅生門"ですが、個別の絵も濃いですが、それよりもここで語りたいのは、 映画をキュビズム的に作っている、

[理系による「映画」考察] 君たちはどう生きるか(2023) ➡宮崎駿の私小説であり、大学入学試験の小論文の題材に最適な映画

実は、ジブリはあまり観ていないのですが("千と千尋の神隠し"以降、観ていない)、"君たちはどう生きるか"は評価が完全に二分されていることを聞き、そういう映画は自分好みの可能性が非常に高いので、観に行きました。 一言で言うと、宮崎駿の私小説、で(映画ですが)、大変自分好みでした。 また、事前に宣伝しなかった理由も分かりました。結局、個人の私小説で、マスに向けて作られたものではないので、宣伝できないのです。 もう少し言うと、宮崎駿自身がピュアに自身の作りたいものを作った、の