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[映画]記事を年代順にまとめたもの
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2023年5月の記事一覧

[理系による「映画」考察] 風と共に去りぬ(1939) ➡この世のものを超越した人間描写を成功させた意味で拍手を送る

もはや、人間描写を超越しており、妖怪夫婦大戦争映画です。 3時間半の巨編を見終わったとき、えー!なんじゃそりゃ!ありえへん!!!、と思わず声をあげてしまいました…。というのも、ラストはもはやなんの論理性も無く、その非論理性は"黒蘭の女"を超越しており、"風と共に去りぬ"に比べれば"黒蘭の女"は全然論理的でした… さらに、すごいのは、情念系女の極みを描いた"黒蘭の女"をさらに超える女(もはや妖怪)が出てきたことと、さらにさらに、その女妖怪と対等に戦える男(これも妖怪)を描け

[理系による「映画」考察] チップス先生さようなら(1939) ➡”おヒョイ”への道

ここで言う"おヒョイ"とは、寛容で、お洒落で、知的に見え、世俗的でなく、なんとも捉えようのない飄々とした人物像を表した言葉ですが、日本人で言うと藤村俊二さんのことです。 この映画は、少し堅物の教師が、恋愛・結婚を機に"おヒョイ"に徐々に変貌し、結果、生徒から大いに好かれる先生になる、という物語ですが、"おヒョイ"の概念が海外にもあったことに驚きました(もちろん、藤村俊二さんよりもこの映画のほうが先ですが)。 自身は10代から、"おヒョイみたいになりたいな~"、という強い願

[理系による「映画」考察] ピグマリオン(1938) ➡神話をモチーフとした高尚な映画に見せかけて、本質は夫婦漫才、のラブコメ映画

上記な神話をモチーフとした高尚な映画に見せかけて、本質は夫婦漫才、のラブコメ映画です。 変わり者の学者が女性を洗練させるための英才教育を施しているうちに、いつの間にかその女性に恋をしていた、というストーリーですが、ラストの学者と女性の掛け合いが見どころですかね。 が、夫婦漫才に日常的に触れており、無意識にその領域への鑑賞眼が肥えてしまっている日本人には、その掛け合いの間があまりよくなく感じる(早すぎる)かもしれないです。 ちなみに、この映画を見てすぐに思い起こされたのは

[理系による「映画」考察] 黒蘭の女(1938) ➡ゴリゴリ理系男を混乱させる"女性という異形のもの"を描いた作品

"あれほど注意したのに、それでも我を通して、空気読まなかった自身が悪いんじゃん! なのに、うまくいかなかったことを人のせいにしとるがな! さらに反省するかと思いきや、またもや我を通して、周り利用して、かつ、不幸にして、自身の願望をかなえようとするのは、ありえへん!"、のツッコミ(すいません、混乱してて色々な方言が混じってます)がなんとも通じない、理系男から見ると"女という異形のものの情念"を描いた映画です。 主人公の感情は非論理的なので、ゴリゴリ理系としては大混乱なのですが

[理系による「映画」考察] 我が家の楽園(1938) ➡今、自身が一番身につけなければならない"寛容さ"の手本

仕事人間で"人間味"がなくなったことを気付かされる映画、って約100年前からあるんだ~(もともと演劇が元なので実はもっと前から)、の感想ですが、それよりかは、個人的に現在最も身につけなければならない"寛容さ"の手本となったので、それに関して記載します。 自身もそれなりに年を取り、会社にて、個人ではなく多くの人の協力を得て・意見をまとめてチームとして成果を出すことを求められるマネージャー的な業務が多くなりました。 その上で、今までのやり方に限界を感じつつあり、マインドセット