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映画

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[映画]記事を年代順にまとめたもの
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2023年3月の記事一覧

[理系による「映画」考察] 或る夜の出来事(1934) ➡理系の天敵"ラブコメ"だが、大傑作で完敗。あまりの素晴らしさに最後は拍手してしまった...

理系の天敵"ラブコメ"ですが、完敗しました。敗因は脚本です(アカデミー賞主要5部門ですべて賞を取っているので、あくまで個人の感想です)。 理系の能書きを垂れると下記になります。 後半モーテルでの、"海に飛び込むのが好きな女の子"、に対する、初っ端の綺麗なフォームによる海への飛び込み、による回収。 終盤の、"彼女には殴ってくれる相手が必要だ。あなたがやるべきだった。"、に対する、初っ端の親父さんの平手打ち、による回収。 しかし、なんと言っても素晴らしいのは、最後の、"ジ

[理系による「映画」考察] 上海特急(1932) ➡マレーネ・ディートリヒの妖艶さはクラナッハ作品をアメリカナイズしたもの

"上海特急"自体を一言でいうと"大人のラブコメ"なので、映画考察はここまでとして、今回のテーマは"マレーネ・ディートリヒ"の妖艶さはどこから来ているのであろう?、になります。 で、Wikiを見たことろドイツ人ということが分かり、ピンときました。怪しくセクシーな女性を描かせたら世界一のクラナッハさんからです。 クラナッハが活躍したのは1500年代初めで、それから400年経っており、かつ、アメリカ映画のスターなので、直接的な形で分かるわけではないですが、見出し画像から雰囲気と

[理系による「映画」考察] 民衆の敵(1931) ➡演技がうますぎる脇役による弊害

"民衆の敵"は主役はジェームズ・キャグニーです。 が、もう一人、主役を張れる役者がいます。ベリル・マーサーです。"七日間の休暇"では、ゲイリー・クーパーが主役ということになっていますが、実質的にはベリル・マーサーが主役であり、素晴らしい演技力です。 が、"民衆の敵"ではそのすばらしい演技力が残念ながらノイズになっています。"民衆の敵"はジェームズ・キャグニーのキャラが立てばよい映画であり、その他の役者は下手では駄目ですが、うますぎるとジェームズ・キャグニーのキャラのノイズ

[理系による「映画」考察] 間諜X27(1930) ➡世界恐慌時におけるハリウッドの戦略のうまさ

他の投稿でも書きましたが、1930~31年は映画史的に分岐点だったのかな、と思われます。 世界史を辿ると、 1914~1918:第一次世界大戦 1929:世界恐慌が始まる 1933:ナチスが独裁政権を樹立 1939:第2次世界大戦が始まる となっています。 ヨーロッパは、1920年代のフランスは、シュールレアリズムの盛り上がりから、エコール・ド・パリ展が1928年に行われのをきっかけに、身近な人々・生活を見直す流れとなり、"巴里の屋根の下"や"マリウス"が出てきたかな、と考

[理系による「映画」考察] マリウス(1930) ➡フランス映画にて庶民の生活を描くようになった理由

ゴリゴリ理系の私からすると、主人公とヒロインの役柄にツッコミたい点はありますが、そのツッコミが野暮になるほど洗練された映画でした。 今回はこの映画自体の考察ではなく、"巴里の屋根の下"も含め、1930~1931年に庶民の生活を主題とした映画がフランスの1つの流れとなった理由を考察します。 まず、世界史を辿ると、 1914~1918:第一次世界大戦 1929:世界恐慌が始まる 1933:ナチスが独裁政権を樹立 1939:第2次世界大戦が始まる となっています。 1920年

[理系による「映画」考察] モロッコ(1930) ➡理系の苦手分野

う~ん、ゴリゴリの理系からなのか、恋愛映画は、 現実的にあり得ないはずなのに、あり得そうに描き(そんな女性はいないし、男性もいない)、自身の言語化できる論理範囲から逸脱 の理由でかなり苦手なのです(妻からサイコパスと言われる所以かも)。が、なんとか記述を試みます。 理系的な視点からいうと 初っ端の強情なロバと、最後にロバ(ヤギかも)を引く表現は繰り返し、で、主人公2人が結局強情であることの隠喩。 フランス語を意図的に少しだけ入れることで、映画に色気をプラス。 序盤の"

[理系による「映画」考察] ランボー(1982) ➡自分を受け入れてくれてくれず、かつ拒絶する社会への絶叫

実は社会派の映画です。 戦争によるストレス障害での反戦アクション映画に見えますが、実は違っていて、本当に表現したいことは、自分を受け入れてくれてくれず、かつ拒絶する社会への絶叫、になります。 よって、ランボーが機関銃で街を必要以上に派手に破壊する行為は、上記の意味です。 また、それだけにとどまらず、自身を受け入れてくれるコミュニティは、苦しくとも自身で見つけなければならない、とのメッセージも、逮捕されるランボーの描写に流れるエンディングの歌から読み取れます。 よって、

[理系による「映画」考察] 巴里の屋根の下(1930) ➡青春群像を表現した初めての映画

恐らくですが、世界で初めて庶民の青春群像を表現した映画、なのではないのでしょうか。つまり、青春群像、というカテゴリーを開拓した初めての映画になると思います。 ストーリー自体は、今で言うところの若いストリートミュージシャンの恋・友情・権力への反抗、を描いた青春あるある映画(あくまで今から見るとです)ですが、意図的にゴシップ建築的な縦線を強調する画を入れてあり、映画としての芸術性を主張しています。 このような分野がない時代に、初めて打ち出された新しい表現手法は、パリでどんなふ

[理系による「映画」考察] つばさ(1927) ➡飛行機を使った映画の元ネタはたぶん全部ここ

恋・友情・戦争・死、という現在のエンターテインメント映画の王道がもはやここで完成されています…。もはや、現在のメジャー映画はこれを焼き直しているだけといっても過言ではないような…。 そして、戦闘を描く、という意味では”西部戦線異状なし"より3年も早い… そして、戦闘が地上戦だけでなく、メインは飛行戦という、もはや発想が3歩ぐらい先に行っていて、以後の飛行機を使った映画の元ネタはたぶん全部ここでしょう(スターウォーズも、宮崎駿も。そういえば、リチャード・アーレンはハリソン・

[理系による「映画」考察] キートンの大列車追跡(1927) ➡アクションコメディの元祖

なーんにも難しいことを考えず見れるアクションコメディ映画です。 当時では、すごい規模の映画だったんでしょうね~。 そして、背が小柄で運動神経抜群の人(日本でいうと岡村隆史や梶原雄太)は、やっぱコメディに向いているのんですかね?チャップリンも小柄だし。 バックトゥザフューチャー3は、おそらくこの映画をオマージュしています。そういえばマイケル・J・フォックスも小柄ですね。 恐らくアクションコメディ映画の元祖なのでしょうが、考察の余地はない・ピュアに楽しめる娯楽映画なので、

[理系による「映画」考察] 東への道(1920) ➡映像表現における、意図的な雑音付加による皮肉暗示へのチャレンジ

"散り行く花"に続き、いや~、実に素晴らし~。 あらすじや見どころ(特に氷上での逸話)はさんざん語られつくされていると思うので、以下、いつも通り少し異なった視点での考察と、かなり細かいところを拾っていきます。 まず、 "東への道"は、"散り行く花"と比べ、明らかに斜に構えることを気付かせる道化というノイズが意図的に入っています。 意味が推測できるものとできないものがあるのですが、自身が気付いたものを挙げていきます。 風変わりな叔母➡社交界への皮肉 バーレット郵便局の襲

[理系による「映画」考察] 國民の創生(1915) ➡世界的に初めての長編映画で、この圧倒的完成度を達成された日には、この後どんな映画を作ればいいんだ!?

映画考察するならば、中途半端なことはやめて、映画の始まりから有名どころを全部見てやろう!、 と思い立ち、映画の父であるD・W・グリフィスの作品を初めから追い、短編集が見終わり、いよいよ初めの大作である"國民の創生"となりました。 で、見たはいいものの、この1本で映画考察やめようかな…、と思えるぐらい異常な完成度で、この映画1本で映画という分野の8割はもう完成しています…。しかも、無音映画にも関わらず、です。 自身が仮に映画監督志望であれば、この映画を見た後は、その進路をあ