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煌々の六甲に殺されて

「社会人」になって6年目。
卒業してからも、ちょっと呆れられるくらいに顔を出していたサークルが、コロナ禍で活動を縮小していた。

田舎の集落に入って活動していた僕たちにとって、あまりにも大きな疫病の影響だった。

でも今回、久しぶりに、また行けることになった。
なんでも地元テレビ局が集落に取材に来る一環で、学生と集落の歩みも伝えたい、と。
卒業して6年経つくせに、ウキウキでお手伝いさせてもらうことにした。

お世話になった、
「ムラ」の会うべき人に会えず、会わずで
少し心残りはあるものの、
取材に来ていたディレクターさんもインタビュアーさんも、
なんだかわからないけど来ていた役場の人も、
新くて面白い出会いだった。

なにより、これまでの自分の足跡を肯定されるような1日でとても楽しかった。

そんな日帰り合宿の終わり、
相変わらずいただきもので本当にパンパンになったリュックと手提げと自分の身体を引きずりながら、
せっかく来たのだからと
学生時代を過ごした六甲道から六甲をフラリと歩いたのがいけなかった。

考えてみれば、世話になった集落より
よっぽど久しぶりに来た。

そしてー

縦も横も、全ての通りに思い出がある。
驚くほど、本当に驚くほど鮮明に蘇ってくる。
合宿で「もらったもの」の受け渡し合いで大揉めする帰り道、
1回生の頃、結局入らなかったサークルの人に連れられて1度だけ入った喫茶店。
最寄りじゃないけど何度も行ったスーパー。
あの人のこの人のバイト先。
やってるのなんか知らなかったけど寄ったら祭りをやっていた神社。
あんなに行ったけど多分もう二度とは行くことはない定食屋。
店は変わっているけどつくりにあの頃を残している場所。

一歩歩くごとに迫ってくる思い出にやられて、
楽しかった気持ちはどこへやら。
6個も下の後輩に
「なんかぼくしんどくなってきたわ」

もう勘弁してくれと心中で叫ぶくらいに、
心が痛くて仕方ない。
残り香に殺される。
光る街灯や看板がちょっとだけ潤んで写る。
なんなのこれ。

変わった箇所も変わってない箇所も心当たりがある。
昨日前入りして散歩なんかしなくてよかった。

今の大学生たちが歩いている。
あの頃の自分に、みんなにすれ違うんじゃないかとすら思う。

ミーティング終わりで晩御飯の店を探して。
あてなく、でもしょうもないことで大笑いしながら。
10人くらいの集まりの中ではしゃぐ自分が突然目の前に現れるんじゃないかと。

現れない。
現れるわけはない。
何年経ってるんだあれから。
遠い昔だ。いい加減にしろ。

緑色のバスに乗り、新神戸を目指す。
あの頃彼らや彼女らが好きだと言っていた曲がイヤホンから流れる。
卒業してから好きだったと聞いた曲もある。
新旧入り交じる。
なんでこんなタイミングで、と思うが自分でプレイリストに入れた曲。流れて当たり前だ。

そういえばサブスク派じゃなくてデータ保存派なのも元を正せば電波の悪い環境や車の往来でも音楽をかけられるように、ってのがはじめだった気がする。

すべてが、すべてが繋がっていく気がする。あの頃に。

イヤホンからは
「のびしろ/creepy nuts」

持ち回りで書いていた自己紹介ブログに、
バイト先で店長に責められて
「お前に何ができるんだ」と言われて
「のびしろがあります!」と返した話を書いた。
それからしばらく、この話はネタにされた。
でもあのブログはもう読めない。
この世に存在しない。
嘘みたいだけど。

それと同じこと。
あの頃はもう存在しない。
もうみんなは歩いてこない。
当たり前だけど。

イヤホンからはあの頃影も形も知らなかった曲が流れてくる。
いい曲だ。
自分でプレイリストに入れたんだから、
これも当たり前だ。

そうこうしているうちに新幹線はもう岡山。
これからも新しい人やいい曲に出会えるかなと思いながら、
満員の自由席で体を小さくして、
日常へかえる。

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