7月の夢トレ〜部活、習い事、サークルの思い出〜
かんころ編集部9期生のみきです☺️✨
執筆していると長くなったので、この度noteを作成しました😂✨
これを機にフォローいただけたら嬉しいです🥲💕
↓7月の夢トレ🌙↓
部活、習い事、サークルの思い出
わたしはこの題材を見て、これしかないと思いました😳✨
題名:期待に応えるということと自分も気付いていなかった個性
わたしは今まで塾やプール、社会人になってからはヨガやフットサルをしていましたが、飽き性であんまり長続きはしていません😂💭ですが、1つだけやり遂げたことがあります💐✨
それは中学時代に入っていた吹奏楽部です🎺✨
ただわたしはめちゃくちゃやる気のない生徒でした🙉💭💦部活をしょっちゅうサボっては先生や親を困らせ、呼び出しされたり怒られたことも何度もあり、今思い出しても恥ずかしいくらいです🙉💭💦
わたしが吹奏楽部に入ったきっかけが、アンダンテという漫画で主人公がサックスに打ち込む姿に憧れて、わたしも絶対サックスがしたい‼︎と思ったからです✌️✨
入部してすぐ楽器体験とテストがありました。何個か吹いてみて、第3希望まで出していいと言われたので、1.サックス、2.フルート、3.トランペットと期待を込めて記入したことを今でも覚えています😳✨
しかし全体の顔合わせの時、先生から突然「今年の1年生はコンクールの結果重視で、先生が担当の楽器を決めました。」と発表がありました😨💭💦
なぜかわたしはトロンボーン😂😂😂💦
しかも楽器体験でノーマークだったので、トロンボーンがどれかも知らず隣の子に「ねえねえ、トロンボーンってどれ❓」と聞く始末😂(笑)
ちょうど入部した年は顧問の先生が赴任してきて初めての年。2.3年生は比較的好きな楽器をやっていて、ずっと地区大会銀賞止まり。まさに1年生の楽器決めは、金賞獲得に向けての秘策だったそうです。
それであとから知ったのですが、勝手に決めやがった(←失礼)顧問の先生はなんとトロンボーンプレイヤーでした😳‼︎
その事実はわたしが後に苦しむことになります。
わたしは知らなかったトロンボーンでその日から練習が始まりました。重いし楽譜伴奏ばっかりやし可愛くないし、、、その上同じクラスの男の子たちに「大きな楽器吹いてるんやな😂」と馬鹿にされ、、、でも仲いい子みんなおるしまあ嫌やったら辞めて美術部に行こっかな😩くらいに思ってました。(トロンボーン真剣にやっている方いらっしゃいましたらすみません🥲)
なんとなく練習して、なんとなく演奏会に出て、、、そんなやる気のないわたしに飛躍が訪れたのは1年生の冬。3年生が引退して、翌年の夏に出るコンクールのパート編成の発表がありました。
「どうせ2年生やし2ndか3rd(一般的にハーモニーやベースが多い下のパート)やろ🙂1stは3年生がするものやし最後やから花を持たせるべきや。」と気軽に構えてました。
同級生の同じトロンボーンだった子が3rdで呼ばれ、部長の先輩が2ndで呼ばれて、、、あれ自分忘れられてる…❓と思ったし周りもざわつき始めたその時、「1st○○(先輩)、ともう1人…○○(わたし)‼︎」
え、、、わたしが😰😱😨⁉️他の楽器の子も1stに選抜されていた1年生の子が何人かいました。ただそのコンクールの自由曲がトロンボーンが主役なのか⁉️と思うほど目立つ曲でした。
その発表の日を境に、先輩達からは「先生もトロンボーンやし絶対コネやんな」と言われるようになり、2年生になってからは一緒に入部した友達とクラスが一緒になったものの関係が悪化して学校も休みがちになるようになりました。
どうしていいのかわからないまま時々学校に行っては、部活に参加して帰りはずっと1人で帰ってました。
そんな時影で守ってくれていた人たちがいました✨それは後に部長になる子とその子と仲のよかった吹奏楽部の子たちです😳✨その子たちは先生に「みきがいなくなると来年のコンクールは絶対金賞は無理。だから辞めさせないで」と言ってくれ、同じクラスだったので陰で見守ってくれていたそうです😭✨彼女たちには本当に感謝してもしきれません。そうすると、一緒に吹奏楽部に入って無視してきた友人も吹奏楽部を辞めました😳
そんな中出場した夏のコンクールは、地区大会銀賞。
正直当然の結果だなと感じました。
2年生の冬、先輩が引退し最後のコンクールのパート編成の発表があり、再び1stに選ばれました。しかも今度は誰かの補助もなく1人で1stを担当することに。学校を休みつつも真面目に部活も参加し、3年生になってクラス替えをして人間関係に悩まなくなりました😭✨(余談ですが、同じクラスになって一緒にいてくれたのは吹奏楽部のトランペットの子🎺30代になっても近くに住む尊敬する親友です🧡)
でもどうしてもわたしを悩ませたのは、「どうして好きな楽器をやらせてもらえてないのに、厳しいことを言われないといけないのか❓」でした。
それは他の好きな楽器をやらせてもらえてない子たちも同じ思いだったみたいで、次第にその子たちと部活をサボるようになりました🙂💭
もちろん顧問に呼び出しされて、3年生だけで話し合いにもなり、母と3者面談もさせられました😱💭
母からは「もうこれ以上悩ませないで」と言われたこともありました。なぜなら、当時大好きだった父方のおばあちゃんが入院していたのですが、大腸がんの末期で余命宣告をされていたからです。まだ学生だったわたしたちには余命のことは知らされてなかったのですが、当時毎日両親は交代で病院に付き添いに行っていたので、今思うと心身共に限界だっただろうなと思います😭💦
それからは渋々部活に行くようになったのですが、数日してからおばあちゃんの容態が急変し危篤状態になりました。その時は一命を取り留めましたが、その日を境に意識がほとんどない状態が続き、わたしも以前とは違った理由で部活を休まざる得ない日がありました。
部活に行っても身が入らない、、、そんな日を繰り返してたある日、父から聞かされた話がありました。おばあちゃんが一般病棟に入院していた時、仲がよかった方がいてたそうなのですが、その方はおばあちゃんと一緒で大腸がんで、わたしと同い年の女の子のお孫さんがいてて、その子もわたしと一緒で人間関係に悩まされてて、、、そんな奇跡のような巡り合わせの方におばあちゃんはわたしのことをよく話していたそうで、「あの子は吹奏楽部で、今は休みがちだけどすごく実力があるみたいだから退院できたら演奏会に行きたい」とその方の家族から聞いたのだと聞かされました。
それを聞いてからは部活も真面目に行くようになりました。休みがちだったので、分からないところは残って先生に教えてもらうようになりました。
ある時、先生になぜわたしをトロンボーンに選んだのか入ってからずっと抱き続けた疑問を聞いてみました😳すると意外な答えが返ってきました。
「お前はリズム音痴でトロンボーンが1番ぴったりやと思った(笑)(←吹奏楽部らしかないですがちょっと認めます😂)、それもあるし、体格とか口の形とかそうゆうものもあるけど、、、お前はトロンボーン以外をしているところが想像できないくらいぴったりだと思った。見た目だけではなくて、この子なら逆境に負けずについて来てくれると思った。」と話してくれ、
あと2年生の夏のコンクールのパート編成でなぜ1stに選んだのかという理由は、編成を決める少し前にトランペットの講師の先生が外部から指導に来たことがあって、「あの先生覚えてるか❓先生がな、お前の吹いてる音を聴いて、あの子は2年生か?って聞いてきたから、1年生ですって言ったらすごいびっくりしてて、あの子はかなり期待の新人ですよ❗️って言われたんや😳✨先生から1年生も上のパートを吹かせないともったいないと勧められて、それであんな編成になったんや。」と話してくれました😱✨
その時3年間モヤモヤしていたことにスッと胸を撫で下ろしたと同時に、先生に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そしておばあちゃんのことも心配してくれ、「練習あんまり出られてないけど、演奏に関しては実はあんまり心配してない。やっぱりお前はそれなりに上手やし。どちらかというと気持ちの方が心配やから、気乗りのしない日は休んでもいい。」と言われました。でもわたしはそれではダメだと思い、部活にサボらず行き、夜帰って病院から疲れて帰ってくる母に代わってごはんを作ったりしました。
それからおばあちゃんはコンクールの10日前に亡くなりました。演奏会に行きたいという願いは叶えてあげられなかったですが、ずっとしんどそうにしていた姿を3ヶ月以上見てきたので、すっと眠るように亡くなったおばあちゃんを見て少しだけ安心しました。
またお通夜にお葬式にお休みして、休み明けに部活に行くと「やっぱりトロンボーンの1stがいないと曲が締まらないな〜✨」とみんな歓迎してくれて嬉しかったのを今でも覚えています😭✨コンクールまで残り少なかったので、必死に練習しました。
そしてコンクール当日。
なんとこの日わたしがトロンボーンで馬鹿にしてきた男の子たち、一緒に入部して無視してきた子たちが演奏を聴きに来ていたそうで、嫌味を言われた先輩も高校で吹奏楽部に入部しコンクールに出場しに来ていました😳❗️しかも先輩たちの高校とは、課題曲が同じ😂❗️
いざ本番。田舎の小さなホールなので、舞台に立つと誰がどこにいてるのか瞬時に見えたので、手が震えたのが記憶に新しいです。
全ての学校の演奏が終わり、結果発表。いろんな学校が結果発表される中、わたしたちの学校が近づきます、、、そして、、、
「プログラム4番○○中学校吹奏楽部、、、金賞ゴールド🥇❗️」
言われた瞬間、わたしたちが「きゃー❗️」と叫ぶ中、会場のどよめきと拍手が他の学校よりも明らかに長く続きました。なぜならわたしたちの学校は、数十年金賞を受賞したことがなかったからです。県大会には行けませんでしたが、金賞ということにみんな涙が止まりませんでした😭✨
先輩達の高校は銀賞🥈。先輩達の高校は毎年金賞で県大会常連校。こちらも逆転した結果になりました。先輩達はわたしたちの喜ぶ姿を見て悔しそうにしていましたが、おめでとうと言われました。
そして数ヶ月後、学校の文化祭を最後に吹奏楽部を引退しました。その時初めて先生が泣きました。1人ひとり挨拶をしてわたしの番。わたしが挨拶が終わると先生が、「やっぱりお前は最後までついて来てくれた。おばあちゃんのこととかいろいろあったけど、、、お前はやっぱり強い奴や。先生の目に間違えはなかった。」と言ってくれました😭✨
・・・
と長かったですがいかがでしたでしょうか😳⁉️
かんちゃんが最近the firstやドラゴン桜など熱くなれるものを紹介されていたものと答えが重なりますが、
なりたいものや理想と違っても、活躍できたり幸せの方向は変えられるということ
誰かの期待に応えるということは頑張れる活力になること
わたし自身のことでいうと
バッシングされたり馬鹿にされるとこれでもか❗️と言うほどに燃え上がれること😂←
意外と自分はしぶといし、超がつくほどの負けず嫌い😂←
ということに気がつきました、はい😂😂😂✨(笑)
こんな感じですが、みなさまに伝わればいいなと思ってまーす✌️✌️✌️💕←軽い😂✨
現在かんころ編集部として活動中です🧡編集部のみなさんはなかよくしてくださると嬉しいです😆💕