◤ミニマリスト◢ 住所不定のモノたちは、要らないモノ?[#119]
モノマリストであり、シンプリスト。
タイトルに「ミニマリスト」と書いているけれど、ミニマリストを物量を軸に定義するのであれば、わたしは「ミニマリスト」ではない。
モノが大好きだし買い物も好き。お店をいろいろ見てまわるのも、Amazonも。しかし、必要以上のモノは持たない様にしている。
実家にいた頃、モノに圧迫された生活に辟易していたからだ。
ところが最近、そんなわたしの家のダイニングテーブルにモノが散乱している。
書き物や食事をするスペースはあるけれど、視界には、もの、モノ、物。
お気に入りなんだけれど、住所不定のモノたち。
住所がないから放浪した末、ダイニングテーブルに居座っているのだ。
お気に入りだから捨てる気はないけれど、どこにしまったら良いのかも分からない。
他のモノがそれぞれの居場所にきちんと収まっている中、矛盾しているわたしの心を、料理番組でよく見る「出来上がりはこちらです」と言われながら出されたような異様な光景を、ここ数日眺めている。
別に収納スペースが無いわけではない。でも、この子たちの適所を見つけてあげられない。
モノを手に取った時、在るべき場所があると、「ここだよ!」と教える様に光って見える。しかし、この子たちを手に取ってもそんな光はどこにも見当たらない。
この子たちは要らないモノなのだろうか。
「今は見えないだけ?」
「もう少ししたら見える様になるかな?」
お気に入りだから、そんな言い訳を“もう一人のわたし”がする。
「それって本当に言い訳なのかな?」
普段、断活する時は潔く手放せる方だと自認しているけれど、なかなか踏み切れないのも何か理由があるのか。
なんだかんだ、こんな感じで自分自身と対話する時間はモノと向き合っている証拠だと思う。
行き場を与えられていないことが心苦しいけれど、もう少し向き合っていこう。
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