◤3.11◢ 今年も東北に思いを寄せる。[#42]
東北の記録と記憶。
以前、宮沢賢治と彼の故郷である岩手県花巻市への想いを書いた。
2回目に岩手県を訪れた時、わたしにはどうしても乗りたいものがあった。
それが、『SL銀河』。宮沢賢治の作品をモチーフにした、“リアル銀河鉄道”である。
SL銀河はJR釜石線(花巻-釜石間)を結んでいる。
この列車に乗って向かったのは、終点・釜石。三陸海岸に面している市である。
釜石市も一度訪れたいと思っていた場所。
わたしたちが訪れた当時は、ラグビーワールドカップを翌年に控え、競技場が完成し、街全体で盛り上げているところだった。
泊まった旅館は、釜石でも有名な旅館である『宝来館』さん。
駅から旅館への道中、防潮堤の工事や仮設住宅が目に留まった。
釜石市で見ておきたい風景だった。
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11年前のあの日を、今でも鮮明に覚えている。
当時、わたしは作業療法士の実習中だった。翌12日が実習最終日で、最後の追い込み中の寝不足と終わりが見えてきた安心感を感じていた。
その日は、実習では珍しく「遅出」であり、実習時間は11時~21時。14時45分から休憩だった。
休憩室に入るとすぐに回転性の眩暈に襲われた。寝不足?疲れ?のせいとも思ったが、暫くすると休憩室の引き戸が開いたり閉まったりを繰り返しており異変に気が付いた。そして、ようやく地震だと理解した。
休憩室にテレビはなく、ワンセグもなかったので、状況が全く分からなかった。
そして、数分後にネットで震度を見た時に絶句した。
それから、実習先のテレビには映画なんじゃないかと疑う光景が流れ続けていた。
帰る時に見た、気仙沼の火災が脳裏に焼き付いている。
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旅館では海の幸をふんだんに使ったお料理に舌鼓を打ち、女将のお話を聞いた。
当時の映像も見せてくださった。
海から押し寄せる津波、最初は少ししか流れてこないのに、徐々に大きくなり、人も車も建物も、まるで怪獣のように流していった。
女将は、一度は津波の飲み込まれたが、奇跡的に車に掴まることが出来、一命をとりとめたという。
海なし県で生まれ育ったわたしは、海に面している他の都道府県の人と比べると、おそらく海への理解が低い。海の素晴らしさも、反対に怖さも知らない。
だから、あの日のことをテレビで何度見ても、(表現の仕方が分からないが)“理解の隔たり”があるように感じていた。
それが嫌だった。
その時その場所にはいなかったけれど、その場所を訪れることで理解が深まるのではないかと思った。
震災から7年経っていたが、工事は続いており、避難生活を余儀なくされている方がいる(11年経った現在も)。
復興のスピードに早い遅いがあるのか分からないし、単純に比べられるものではないけれど、率直に阪神・淡路大震災の時よりも時間が掛かっていると感じた。
大きな違いがあるとすれば、津波。
目の前に広がっているおだやかな海への恐怖心が増していった。
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釜石を訪れて触れたことは、海の怖さだけではない。
困難な状況に直面しても尚、立ち上がり前を見続ける人々の力強さ。
復興への気持ち、熱意。
この出来事を風化させてはいけないという思い。
海の幸の美味しさ。
波の音の心地よさ。
生活の一部に当たり前にある海と共存する人々の気持ちに、ほんの少しでも触れられた気がした。
滞在したのは1泊2日だったけれど、訪れて本当によかった。
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SL銀河は老朽化のため、来春引退する。
たくさんの人の思いを乗せて走った列車の最後が悲しく思うのと同時に、一回でも乗れたことを感謝した。
そして欲を言えば、今年中にもう一度乗ろうと思う。
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