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3.11

10年前のこの日
今でも鮮明に覚えてる。
当時、藤沢の不動産会社で働いていた。
引っ越しシーズン、まさに1年中で繁忙期
法人相手の転勤・新入社員の為の社宅斡旋。
超タイトスケジュールで会社条件、社員の希望に合わせた
入居までがミッション。
この時期はトイレに立つ時間も惜しいくらい。
まして、お昼を食べられる日はラッキー。

10年前の3月11日は今日の陽気と似ている。
暖かな日差し。
その日、仕事が落ちついたので何かお腹に入れなくてはと
遅いランチをお気に入りの駅前激辛麻婆店に入った。
空腹を満たし、お店を出たロータリー前を歩いていたら
歩道橋からバラバラと何か降ってくる。
そのうち、若いカップルが騒ぎだした。
この時期、睡眠時間3時間ぐらいしか取れない私は、
仕事を離れると感覚が鈍くなることがある。
しばらくの間
人々が大きな声でキャーという叫び声も
慌てている姿も映像を見ているような感覚・・・

えっ
これ、現実?!
慌てて会社に戻ると
外にスタッフが集まっている。

ブルブル震えて今にも泣きだしそうな女性の
肩を抱いて「大丈夫、大丈夫だから」
という私の手も少し小刻みに震える。

案内で出ているスタッフと電話がつながったが
逗子方面に行ったスタッフからの連絡がない。。。
「大丈夫、大丈夫。」心の中で呪文のように唱える。
地震発生から3時間後公衆電話から連絡あり無事を確認する。

交通が麻痺してスタッフ全員が帰れない状態だった。
社用車を使い、手分けして同じ方向の人を自宅まで送っていった。
裏道もすべてが渋滞していてみんなを送り届け帰宅した。
時刻は25時過ぎだったと思う。
すごく長い一日で疲れていたのに寝れなかったことを覚えている。

翌朝、悲惨なニュースが目に入る。
心臓がどきどきして涙が勝手に流れたのを思えている。
それでも、仕事に行かなければならない。
会社では停電の中、コートを着たまま懐中電灯の明かりで
切羽詰まった仕事をこなしていた。

それから1ヶ月経ち通常の生活に戻った。

震災にあった人達は
3ヶ月・・・
半年・・・
1年、3年、5年・・・
未だに前の生活に戻れていない声を聞く。
何かできることはないかと
少しばかりの支援をさせていただく。

10年前の今日
私が感じた恐怖、大変な思いは本当にちっぽけなものだ。

私が今、悩んでいることもちっぽけなこと。
いろんな感情があるのも生きてるから。。。。
ご飯を食べて、眠れることに感謝。

私にとって3月11日は
『今日があることに感謝して生きよう』と思える日なのだ。



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