地元から人の気配が減っていく。SFでも“いい話”でもない、現実的な「都市」の話
川崎北部にある、とあるベッドタウンの話からはじめたい。
川崎といえば、『ルポ川崎』という名ルポルタージュが話題になったように、近年アウトローでヒップホップな南部=サウスサイドに注目が集まっている。しかし、ここでしたいのは、かつてシンガーソングライターの小沢健二が「川崎ノーザン・ソウル」と揶揄した、空虚で平坦な「北部」の話だ。
1970〜80年代頃に、それまでほぼ山だった地域を開発して作られたニュータウン。整備された住宅街や団地、マンションが街の大半を覆い尽くす。渋谷・新宿までは30分ちょっとで行けて、最寄り駅の隣は私鉄のターミナル駅で、中型のデパートがいくつかある。都心ではないものの、生活から遊びまで一通り地元で完結する、大まかにいえば「都市部」と言って差し支えないだろう。
僕が生まれ育ったのはそんな地域だ。たまに実家に帰り、相変わらず(不自然なほど)綺麗に整備された街を歩くとき、大げさにいえば、よく虚しさと焦燥感の入り乱れた感情が襲ってくる。「この街で人の気配を感じられるのは、あと何年くらいなのだろう」。
小学生になった2000年頃、近所には4つの小学校があった。しかし、僕がその小学校を卒業する頃、うち2つは統廃合が決まった。1クラスあたりの人数も、低学年になるにつれ、どんどん少なくなっていった。
2021年現在。僕を含め、地元の知人たちの多くは、別の街に住んでいる。僕らの親世代の多くは、基本的にはこの街を終の棲家にすると決めているだろう。しかし、半世紀後、親世代がこの世を去った後、このベッドタウンはどうなってしまうのだろうか。前時代の遺産として、空き家だらけの住宅街や団地、マンションが残された、ゴーストタウンのようになってしまわないだろうか。僕は生まれ育った街に愛着を持っているからこそ、そんな焦燥感に駆られてしまう。
(※)本ブログは、株式会社PLANETSが発行する雑誌『モノノメ 創刊号』について、そのいち編集部員である僕が、個人的な所感を綴ったものです。このブログを通じて、より多くの方に『モノノメ 創刊号』を手に取ってもらい、既に購入いただいた方にはより多角的に雑誌を読む一助としてもらいたいという目的で書いています。
20世紀後半に開発が進められた都市部のベッドタウンの多くは、この問題に直面していくだろう。共働き家庭の増加などから、若年層は通勤の便の良い都心部に移り住む傾向を見て、「ベッドタウン崩壊」の危機を憂慮する都市研究者たちもいる。
そしてこれは、都市部のベッドタウンに限った問題ではないと思う。
ご存知の通り、日本は世界でも珍しく、既に人口減少フェーズに差し掛かっている国だ。もちろん街や地域によってその度合はさまざまだろうが、「人が減っていく街でどう暮らしていくか」という問題は、多くの地域──それが「都市」部であっても──に共通しているものだろう。ベッドタウンのみならず、国内のあらゆる街で暮らす人びとが、直面する問題だといえる。
PLANETSの新雑誌『モノノメ 創刊号』に収録されている、[座談会]饗庭伸×安宅和人×菊池昌枝×渡邉康太郎「『都市』を再設定する──復興、防災、地方創生」では、まさに人口減少時代に「都市」をいかにして再設定していくかという問題が、たっぷり16ページ使って議論されている。
ここ最近の都市論のトレンドに反し、スマートシティの話も地域コミュニティ復興の話も、ほとんど出てこない。データサイエンス、都市計画、観光、デザインと異なる専門性を持った4名が、災害リスクや人口減少という不可避の条件のもと、都市空間をいかにして再設計していくのかという、きわめて現実的な議論を展開している。
安宅 ……人口減少で隙間が空いていくところを使って未来を作っていくしかないよね、という話とも言えるので。全部をきれいにワイプアウトしようという発想が、国家権力的で実際にはやりようがない……でも空いていった1割、2割、3割の空間を使っていくことで、未来を変えていくためのティッピングポイントを超えるかもしれない(p48)
繰り返すが、読んでいるだけでワクワクする、SF的なスマートシティの話は出てこない。あるいは、読んでいるとほっこりいい気持ちになる、心温まる地域コミュニティ復興の話も出てこない。そういう話が読みたければ、この雑誌は買わないほうがいいと思う。
しかし、正しく絶望したうえで、建設的な代替案を必死で議論している座談会になっていると思う。現実的かつ建設的に、これからの「都市」について考えてみたい人にとっては、多くの示唆を与えてくれるはずだ。
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