ハルキストなるもの
村上春樹の短編集『一人称単数』を読んだ。
個人的に表紙の絵がなぜ一人の女性なのか腑に落ちないところがある。村上春樹はあまり表紙に拘らない人だろうか。まあいい。
「春樹節」に期待して本を購入。
読み進めるうちに、なんとも言えない違和感に包まれた。違和感?不快感?くすぐったさ?は違うか。
村上春樹を初めて手にした私はその時、高校生だった。
ある種の義務感から読んだのかもしれない。
「『ノルウェイの森』の女の人がさ、あんたみたい」
友人の一言は、村上春樹という作家に執着させた。
どんなやつだよ相手になってやるよ(登場人物ね)。
それから何作か読んだ。
彼の作品は好き嫌いがはっきり分かれるという。
私は好きだ。好きだというよりは、嫌いじゃない、という方が適切かもしれない。いや、好きなのか。
彼の文章は、「自分に酔っている」と評価される。
そんな文章を読んで、ある種の仲間意識のようなものを感じる。この人がわかる、という自分に私もまた酔っているのだろう、そんなだ。
彼は答えを突きつけない。だからいいんだと思う。
近代人としての彼は、時として(いやいつも)写実的すぎる。でもそれはあくまでも現実ではない。
だから何?の答えなんて、誰も求めてない。
彼のSF物語が好きだ。『騎士団長殺し』なんてわけがわからなかった(いい意味で)。
だから(というのもなんだが)、この短編集には驚かされた。
なんだこれ、彼じゃないか。
そう、ストーリーから、濃厚な村上春樹自身を感じてしまった。
じわじわと、紛れもない彼自身を。
それがなんだか、フラれたような気持ちになった。勝手に期待しておいてがっかりさせられた、なんていう馬鹿みたいに。
親しみを覚えるべきだったのか、喜ぶべきだったのか。まだしっくりこない。
ただし、世間のいう「一人称単数」には異論を述べたい。
彼が自分をフェミニズム的な観点から批判しているだって?そんな馬鹿な。村上春樹だぞ?
彼は己を淡々とstory tellingするように、ただ浴びる非難も現実として文字に閉じ込めただけだと思う。それ以上でも、それ以下でもない。
村上春樹に何かそのもの「以上」を求めるのは、お門違いだと思わないか?
「恥を知りなさい」
その文言を物語にしたかった。それ以上でもそれ以下でもない。
私はそんなふうに思う。
現実をも文字にして操ってしまう、押さえどころのない、手に取れるはずのない空の文字を、チンケな現実世界に閉じ込めないでくれ。
現実じゃないけどそこに生きている。
そこにいたくないけど、そこにいる。
そんな彼の物語が好きだから。その先を、結末を、行く末を、勝手にはめ込めないでくれたまえ。