神の癒しや奇跡は今日何故少ないのか

  筆者の妻は数年前演奏などのストレスから眩暈、耳鳴りがして、そして突発性難聴になった。突発性難聴は発症後1週間以内に適切な治療を受けると40%は完治し50%は何らかの改善が見られると言われている。妻の場合は1ヶ月位経ってから受診したので医師からはもう治らないと診断された。しかし筆者は医学的に可能性があるなら医師が治すが、医学的に治る可能性がないなら神が癒されると信じている。なので毎日何回も妻の耳に手を置いて「イエスの御名によって聴力よ戻ってこい。聴力が回復するように。」と祈っている。何故なら主・イエスが
「病人を癒し、死人を甦らせ、癩病人を清め、悪霊を追い出しなさい」(マタイによる福音書10章8節)
とお命じられており、さらに全ての弟子たちに
「病人に手を置けば病人は癒やされる」(マルコによる福音書16章18節)
と約束されているからである。

 筆者の祈りはまだ神に答えられていない。だが筆者がこれから千回祈っても1万回祈っても妻の聴力が回復しなくても神のご命令も神の約束も有効であると確信している。
「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか」(民数記23章19節)
「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる」(イザヤ書55章10節11節)
とも言われている。だから神は真実なお方であるからそのお言葉もまた絶対的に確かに実現するものである。

 では何故祈りが聞かれないのか?多くの祈りがなされているのに神の癒しが起きず、奇跡も起きないのか?それは私たちの信仰がないか信仰が薄いからである。

「そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった」(マタイの福音書 13章58節)

と主・イエスは言われた。キリスト信者であっても


「イエス様が生きていたのは2000年も昔のことだ。使徒たちも皆死んでしまって初代教会のような奇跡や不思議や癒しは今はもう起こらない。」
などと言う人も多い。しかし
「イエス・キリストは昨日も今日もとこしえまでも変わることはない」(ヘブル人への手紙13章8節)
のであるから、もし主・イエスが見える形で今日おられたら、必ず2000年前と同じ癒しや奇跡を行われるはずである。問題は私たち人間の方であって、主・イエスは信仰のない今のキリスト信者を嘆いておられるに違いない。今こそ
「信仰のないわたしを赦してください。わたしの信仰を増してください。」
と悔い改め、使徒ペテロがガリラヤ湖の波の上を「きなさい」と言われた主・イエスの言葉を信じて、主・イエスだけを見て、主・イエスの元に向かって歩いて行ったように奇跡のような毎瞬間、毎瞬間を生きていきたい者である。

 聖書こそ活ける神の言葉である事を心の底から信じて生きていこう。
 神の言葉を少しも疑う事なく文字通り100%信じ切るものになろう。

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