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舞台の踊り子

表題の作品は1870年代後半ドガにより描かれた作品のことなんだけれども、この作品で描かれているバレエ自体は今日では芸術として大衆に認められたものであるものの、当時のフランスにおいてはバレエの踊り子は身分の低い人が生活していくための手段であり、世間的にも侮蔑されるような職業でもあったそうな。どうやらバレエの踊り子だけでの収入ではとうてい生活していけるはずもなく、多くの踊り子は裕福な男性にパトロンになってもらうことを望み、その関係性は娼婦と客というようなものであったらしい。もしかしたらドガ自身もパトロン的な立場でこのような場に出入りしていたのかもしれない。光と影といったところか。

一見華やかに見えるバレエの舞台裏、あるいは舞台袖で黒服のパトロンが見守る様子は当時の風情を舞台上でスポットライトに照らされて舞う踊り子を描いた風刺画だったのかもしれない。わからんけど。

時は経ち、現代は様々な娯楽が生まれ大衆は流行の波に流されながら右往左往している。サービスを提供する側は流れ着いたカモを逃すまいとあの手この手で捕まえようとやっきになり、特に日本のエンタメシーンではクオリティよりもまずはビジュアル先行型が主流となっている。

邦画や民放キー局のTVドラマなんかは売り出したい俳優ありきのキャスティングで作品が決まるそうで、どういうことかというとまずは旬な俳優に見合う主演作品が選ばれヒロインから2番手、3番手あたりは大手芸能プロダクションが抑えて端役はバーターで主演俳優の所属事務所の売り出し俳優が推される。いわゆる数字を持っている俳優で作品が作られる、そんな流れが主流だったらしい。そしてしばしば俳優としての技量よりもビジュアルが優先されてきたこともあったかと思う。

麻雀もМリーグという大きな舞台が作られ発足当初は古参の麻雀ファンやそれまでの麻雀プロの草の根活動等によるファンをはじめとした多くの視聴者が期待して始まった。選ばれた選手達も多少の賛否はありつつも最高峰の舞台という名にふさわしい人選であったように思う。何より初めて麻雀が興行として成立したことは大きな意味を持っていた。

が、蓋を開けてみると初動こそ話題になったが思ったほど視聴者が伸び悩んだようだ。これは2年目から追加された1チーム1女流必須というルールから多くのファンがそれを目の当たりにした現実だったと思う。

Мリーグ発足以来、ほとんどの選手がYouTubeチャンネルを開設して麻雀というコンテンツを宣伝し魅力を発信し始めた。ハギーはこれまであまり出演しなかったバラエティ番組にも出演して道化を演じることも厭わず麻雀を話題にしていたし、おかぴーはバラエティ番組でセクハラまがいな絡みをされても嫌な顔せずタレント麻雀プロとして明るく振る舞っていた。オフショットや楽屋配信も余すことなく配信されて気の休まる暇がないくらい一人一人が麻雀プロを演じ続けていた。

でも結果にはなかなか結びつかないジレンマ。麻雀興行にも多少のクオリティを犠牲にしてでも数字を取るためのテコ入れが入るのは致し方なかったかもしれない。

Мリーグ発足により麻雀界に光と影がもたらされた。最高峰の麻雀プロリーグとして色んなメディアを通じて報じられるようになり今ではたくさんの子供が憧れるようになったМリーグは光。これまで麻雀プロの生活の糧だったフリー雀荘は脱ギャンブル宣言とともに切り捨てられ、代わりに台頭してきた水商売のゲストという名目の芸者の真似事や公営ギャンブル営業という影。そして個人的に思うのは日本のエンタメシーンをなぞるかのようにビジュアル先行型のマスコットが加わり多くの実力派プロが陽の目を見ない闇。光の対義語は表裏一体の影であり公にされない闇がある。

私は麻雀プロに対しての幻想が捨てきれないのでそうした光と影そして闇の部分にネガティブな感情が芽生える時がある。それはМリーガーの不甲斐ないプレイを目の当たりにした時だ。せめて麻雀の内容で魅了してほしい。これはミスを咎めるというより明らかな準備不足と感じる選手が散見されるからだ。

結果として私個人としては飽きてきた感は拭えない。自分が評価しているチームが勝つことは嬉しいが逆のチームに何の変化もないことにガッカリするシーンが増えたせいかもしれない。ハギーや高宮さん、おかぴーは私の目からは見違えるほどの打ち手になったと思う。誤解を恐れずにいえば彼等はマスコット的立場でありながら自身の麻雀観を一度破壊して努力により新しいスタイルを築いた。そうした選手の成長を見ることができたのは良かったと思う。が、勝つチームは当たり前に勝つし、負けるチームは当たり前に準備不足だと思うシーンがとても多いと感じるようになった。ただでさえほとんど同じメンツで何年も同じルールで繰り返している為単純に飽きが来るのは必然。今では2試合目はメンツを選んで見ないことが多くなった。

それでも個人的には一部の選手の高い技術や能力、タレント性や選手としての総合力は素晴らしいと素直に評価している。一方でガッカリするような一部の選手の麻雀は同卓する素晴らしい選手を差し置いてもブラウザを消してしまうくらい見るに堪えない。麻雀の場数をこなしてきた愛好家が時折X上で痛烈な批判をするのを目にするが決して的外れな意見ではないと感じることもある。揶揄されるのは上手いとか下手とか以前に努力の軌跡が見られないからだと思う。

ドガの描いた踊り子達は想像も出来ない努力をしてきて素晴らしい技術を持ちながらもまだ見ぬ理想郷の為に娼婦になってでもバレエで生きて行く覚悟を持っていただろうか。

パチンコパチスロ営業に勤しむМリーガーよ。あなたの舞台袖で見守る黒服は誰だろうか。スポンサー?営業先のオーナー?果たしてあなたは麻雀ファンを向いて舞えているでしょうか。


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