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SHOZO TOKYO STORE CAFE

祝日の朝、仕事の日と同じ時間に起きて電車に乗る。
空いてると思ったけど、意外と祝日の朝に動いている人は沢山いるようだ。


行きたかったカフェのオープン時間に合わせて店の前にたどり着く。
だいたいぴったりにいくと気まずいから、もう2〜3分遅らせるか、、と思ったら
先客が3人居た。ホッとしてそのままカフェの中に進んで行った。

美味しいコーヒーと焼き菓子。
それだけで心が満たされる。
求めているのは生活感のない、
その2つの"香り"なのかもしれない。

SHOZO TOKYO STORE CAFE
スコーンとクッキーとオーツミルクラテ

たっぷりのつめたいカフェラテが嬉しい。
チョコとくるみのクッキーは、ザクザクでおいしい。
クッキーを完食して、スコーンはお土産。
残ったカフェラテを持って、渋谷方面に歩いた。



青山ブックセンターのトイレは清潔で少し暗い。
昔働いてた新宿ピカデリーの従業員通路に似てる。どこもかしこも綺麗で白くて、薄暗い。
舞台挨拶で芸能人が来る時は、エレベーターが使えなくなったりする。

まだ20代前半だった私はいつもアルバイトしながら
「なんで私はここにいるんだ」「ここにいるはずじゃない」「逃げ出したい」ばかり考えていた。
大好きだった映画とは物理的距離が近づいただけで、画面の中に入るには程遠かった。


線の細い人に憧れた。
白くて儚げで消えてしまいそうでちょっと話しかけづらくて冷たそうな人。

トイレの鏡に映る自分は、一言で言うと『健康そう』。
首も脚もしっかりしてるし、日焼けしてるし実際かなり丈夫である。
街に出ると結構な頻度で道を聞かれるし、突発的に変なことをされるとすぐ笑ってしまう。

理想とは正反対の自分を、10代から20代前半は恨めしく思った。
「こんなの嫌だ!」「理想に近づきたいんだ!」
いつも自分の心は自分の身体を拒否していた気がする。


20代後半に、その恨みはだんだん薄まってきた。
いつも外に向いていた眼が、自分の内側に向いてきた。
「私って意外とこうゆう才能があるんだ」
「人に褒めてもらえるところがあるんだ」
全部認めること。見つめること。
私が今いる場所。やっていること。一緒にいる人。持ってるもの。生きてること。
とりあえず、それでいい。一旦認めること。全て。

比べる対象は人ではなく、昔の自分だった。
身体に魂が少しずつ合ってきたのか。29年目にして。(急にスピリチュアルぽい話になってしまった)

30年を迎えたら、ずっとその先に行ったらどんな風になるだろう。
何を好きになってどこに行きたくてどこに住んでるんだろう。


ゲームはクリアした翌日にすぐやらなくなる。
全ての結末を知ってしまった途端、つまらなくなる。
お金も体力も戦闘力も上限マックスになって何もかもが手に入るようになった瞬間、何も欲しくなくなる。


満たされることのない私の人生はまだ途中なんだと、しみじみと感じている。

岡本太郎

青山ブックセンターのトイレに残された黒い日傘。
今頃ご主人が取りに来て、家に帰れてるといいなと思う。

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