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K.385のメヌエットとその終止のフェルマータ

先日書いたようにK.385全楽章は「アウフタクト開始」という「お約束」で結ばれている。ということに長いこと気が付かなかった。このsinfonieが後期交響曲としては軽い作品に見えていたのはやはり通りいっぺんな音響でしか聴いていなかったからだ。楽譜を見て、聴いてきた記憶との矛盾に悩まなかったらこの作品の姿やその共通の鍵は見えなかった。楽譜にはたくさんヒントが記されていたのに!

第1楽章の最初の2つの小節は、拍節のアウフタクトとして機能し、3小節めにのしかかっている。長い間、解釈に悩んでいた2小節めのティンバニの四分音符の役割はこれで意味を掴めた。

さて、これと第3楽章メヌエットの開始は似ている。メヌエットは二つの小節を分母とする4拍子の音楽であるがこの作品も同様である。1小節めと2小節にかけてティンパニが動く。だがこのトレモロはタイで結ばれていない。つまり、2小節目の頭には明確なティンパニの拍が叩かれることになる。その効果も第1楽章2小節目と同じく、3小節目という拍節の1拍目へ向かって跳躍するステップが示されているのだ。

④1 2  | ①3 4 ②5 6 ③7 8 ④1 2 |①3 4…

このメヌエット部は基本この4拍子拍節で動いている。従って拍節的には「3拍目」でその形を閉じることになる。ダ・カーポ後、そのメヌエット終止がフェルマータで示されているが、それもこの拍節と関わっているものと思われる。もちろん、このフェルマータは「終止」のサインであることはいうまでもない。「保持」ではないのだ。しかし、モーツァルトのメヌエットでこのフェルマータ表記は珍しい。だから、いつものメヌエットとは違う造りになっていることから、演奏者やダンサーにその終止を伝えるために記されているのではないだろうか?
その四分音符を踏み込んだところで音楽が終わることを明確に伝えている楽譜なのだ。つまり、なぜこのメヌエットはフェルマータが記されているのかは作者の「気まぐれ」ではないのだ。

トリオは同じように、その最初の2つの小節が4拍めとなって動き出す。だが、最初のリピートの後の9小節めからのフレーズは次のような6拍子で設定されている。

9 10 |①11 12 ②13 14 ③15 16 ④17 18 ⑤19 20 ⑥21 22…

そして、再び4拍子拍節に戻ってメヌエットにダ・カーポしていく形になる。

21 22 |①23 24 ②25 26 ③27 28 ④1 2…

こじんまりとしたメヌエットだが、なかなか凝っていることがわかる。

さて、先のフェルマータの件だが、もちろんこのフェルマータは終止の意味であって、保持の機能ではない。20世紀中盤までのなんでも「保持」ではないのだ。

それはともかくとして、この終止をどのようにまとめるかは演奏者のセンスに掛かっている。

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