同じ夢
幼い頃、高熱を出す度に見る夢があった。
パジャマ姿の私は懸命に走っていて、後方には大きな岩壁とマグマがあり、ごつごつとした巨大な丸い岩が、私を押し潰そうと転がってきている。前方は全体的に白い幸福な背景であり、青い屋根の小さな白い家があり、紫陽花の横で若くして亡くなった母方の祖母と幼稚園の制服とベレー帽姿の男の子が手を繋いで、私に手を振るか手招きしていて、夢の中で懸命に走る自分を幽体離脱している自分がハラハラしながら見ている段階でいつも目が覚める。額も身体も汗ばんでいて、心拍数は上がっている。朦朧とした頭で「また、この夢か」とも思う。
母の母、すなわち私の祖母が体が弱く、若くして亡くなったことは母から聞いていたし、毎年、お盆の時期に青森の親戚の家に帰るのは、祖母が亡くなる前に離婚していて、身寄りのなかった私の母が引き取られた家だからだった。青森の家は青い屋根に白い壁の家だった。
母が大人になってからも交流があった親戚が、青森の一緒に住んでいた人たちと、千葉のおじさんで、母が千葉に行くときは「千葉のおじさんに会いに行くよ」と言っていたので、私の中でおじさんは名前よりも「千葉のおじさん」と呼ぶほうがしっくり来る。おじさんは祖母と兄妹で、幼い母を気にかけてくれたり、少しの間、幼かった母の面倒を見てくれていたこともあるらしく、人見知りで仏頂面の私にも優しかった。
その中でも色濃く覚えている記憶として、千葉のおじさんが、私たち家族をみかん狩りに連れて行ってくれて、帰りにおじさんの家に寄ってお茶を飲んだり、おじさんの息子夫婦や子供たちと遊んだ記憶がある。おじさんは高台のみかん畑の中でしゃんと立ち、みかんを狩るよりも煙草を何本も吸っていて、床の間にも大きな石のような灰皿があった。
みかん狩りからおじさんの家へ帰り、団欒の際に長押に掛かっている写真を見て、すぐにその子が夢に出てくる男の子だと分かった。おじさんの息子で事故で亡くなった子だった。まだ幼い私だったが、不思議とその写真と対面しても怖くなかったし、祖母とその子が守ってくれているのだと感じた。
千葉のおじさんも、亡くなってから一度だけ私のもとへ来たことがある。二十歳そこそこの迷走していたフリーター時代、あてもなく自転車を漕いで、少し迷子にもなって、結局行き慣れたスーパーで適当に買い物をして帰り、母もまだパートから帰っておらず、一人でリビングをうろうろしていたら、一瞬だけおじさんの煙草の臭いがした。その一瞬が鮮明で、もう何年も会っていなかったのに、私はすぐにおじさんだと分かった。
うちは母や母の周りにスピリチュアルに精通した人が多く、幼い頃は私も見えた時期があったので、大人になり、すっかり鈍感になった私だけれど、そういう類の見えない気配や力は人よりも信じている。